西部劇の魅力(9)Soldier Blueの世界

先住民を襲った不幸な事件を照らし出すことで、アメリカの欺瞞性を顕わにした作品ともいえる、映画ソルジャーブルーの中で生じた事件、サンドクリークの大虐殺は1864年11月29日のことです。


ところで、ウイキペデイアによると、「大草原の小さな家」の時代は、西部開拓時代のアメリカ(1870年代から1880年代にかけて)を舞台にしており、インガルス一家はウィスコンシン州カンザス州―ミネソタ州サウスダコタ州と移り住む。
とあります。

大草原の小さな家の時代は、この虐殺事件の後に当たるようです。
事件はコロラド州で起きましたので、インガルス一家の身近には、この事件を経験している人はいなかった可能性が高いですが、噂話位は伝わってきていたでしょう。

いかにコロラド州や合衆国政府が虐殺を秘密にしようと思っても、当時は大量の入植者達がフロンティアを求めて、新天地にどんどん入り込んでいた時代です。これだけの大きな事件を消し去ることは難しいと思います。

それならば、むしろ、政府や州は虐殺でなく、ネイティブアメリカンが白人に危害を加えようとしたために、退治したといった情報操作を行うことでしょう。

実際、ウィキペデイアによれば、1864年11月29日のサンドクリークの大虐殺は、下記のような見出しで報じられたということです。

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12月8日、デンバーの地元新聞『ロッキー山脈ニュース』は、次のように見出しを挙げた。

インディアンとの大会戦! 野蛮人どもは追い散らされた! インディアンの死者500人、わが軍の損害は死者9人、負傷者38人!

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こうした積極的情報操作のため、キャロライン・インガルスさんは、怖いのは白人ではなくネイティブアメリカンだと思っていたのでしょう。もちろん、妻や子供が何の落ち度もないのに殺されれば、報復しようとするネイティブアメリカンもでてくるでしょうから、白人にとって脅威であることは間違いないとは思いますが。


大草原の小さな家の初版本の一節のように、アメリカ合衆国自体も、ネイティブアメリカンを動物でも人間でもない存在と見ていたのでしょうか。
それゆえ、ネイティブアメリカン達が生活している空間に侵入して、後から来たのに先住者達の首を絞めるような法律を作り、それを理由に締め付けを厳しくしていくなどということができたのでしょうか。

相手を人間と思わないほどの強烈な差別意識なのか
優生学的な自己過信なのか
正義のため、否、『シラミの幼虫はシラミになるから』などという非合理な理由であっても、理由さえみつければ相手を抹殺しても良しとするような狂信性なのか

アメリカが、ネイティブアメリカン達の人口では、住むのに広過ぎた土地であったということと、農耕民族ではなかったために、領土意識が希薄であったということも不幸を大きくすることに働いたと思います。
彼らが、もう少し狭い地域に暮らしている農耕民族であったなら、侵入者に対して自分達の耕作地が減らされて飢えてしまうといった直接的な危機感を感じるでしょうから、領土意識を強く持つことができたことでしょう。
もっとも、これらは、ネイティブアメリカンのせいでも何でもありません。

否、仮に、領土意識がもっと強くて、ネイティブアメリカン達が肩を寄せ合うように狭い地域で暮らしていたとしても、彼らは白人達が入植してきたら、親切にも受け容れたかもしれません。

ネイティブアメリカンは譲り合って生活するのを基本とし、例え折り合いが悪い部族があったにしても、棲み分けをして共存を図ってきたようなところがあります。
部族や民族を殲滅させるというようなことは、考えもしなかったのではないかと思えます。

西部劇の魅力(8):Soldier Blueの世界

カナダのネイティブアメリカンとして知られているバフィー・セントメリー。
日本でも「サークルゲーム」が大ヒットしました。私も良く聞いた曲ですし、今でも自分のiPodに入れています。
このバフィー・セントメリーの曲に、ソールジャブルー、ソールジャブルーというリフレインが耳に残る、「ソルジャーブルー:Soldier Blue」という曲があります。私は曲調が変わっていくこの曲にはついていけなくて、馴染めないポップスという印象でした。


アメリカの西部劇で一つの大きな転機となった映画が、「ソルジャーブルー」です。
若き日のキャンディス・バーゲンが主演でしたね。
私は、映画を見るまでソルジャーブルーというとバフィー・セントメリーの特徴的な曲を連想していました。

さて、自分はこの映画を見た時に、キャンディス・バーゲン扮するヒロインの態度に、何となく違和感を抱いたのを覚えています。
それは丁度、自分の気持ちに合わないままにどんどん転調していく、バフィー・セントメリーが歌うソルジャーブルーの曲を聞いている感じなのです。
こっちの感情を置き去りにして、勝手にそっちだけで盛り上がらないで欲しいんだけど。という、スタートラインに立った時の知識が圧倒的に少ない人間のぼやきが、自分の当時の感情の元になっていたと思います。

何故違和感を感じたのかというと、ヒロインがシャイアン族に共感を寄せていたからです。
何故、騎兵隊を襲撃して殺してしまうような乱暴なシャイアン族にヒロインが肩を持つのか、どうも自分の感情にしっくりいきませんでした。
人道主義的正義感の強い方は、こんなことを言うと眉をひそめるでしょうが、私は映画を見始めて暫らくすると、正直なところ、この映画はあまり出来の良い映画ではないな、などと生意気ながら思いました。

人間は他人に助言を受けようとする場合、自分の考え(自分の感情にとらわれているバイアスのかかった考えの場合が圧倒的に多いと思います)は既に固まっていて、その自分の考えを肯定し支持してくれるような人の助言を受けようとする場合がほとんどだと言います。
それはそうですよね。自分の考えを批判して撤回させようとする人に相談などする気も起きませんから。
それゆえ、楽な方、自分に味方をしてくれる方、自分を甘やかしてくれる方・・・へとなびいていく場合が多いでしょう。
同様に、人々の慣習や常識に基づいた感情を敷衍するような映画やドラマを作ることが、娯楽物は特にそうですが、ヒットさせるための重要な要因の一つに思います。

恐らく、当時のアメリカには、ネイティブアメリカンへ対応してきたことの評価を再考すべきではないかという空気が充満しつつあったのではないかと思います。
ネイティブアメリカンへの旧弊な固定観念と、評価を見直すべきとする考えとが、天秤で釣り合いを取るぐらいになりつつあるところに、「ソルジャーブルー」という天秤の錘が、評価を見直すべきとするお皿の上に乗せられて、一気に存在感の重さを示すことになったのではないかと思います。

しかし、その当時ベトナム戦争での膠着状態がなければ、楽天的な現状肯定型が多いように思えるアメリカ人達は、ソルジャーブルーのような作品にあまり目を向けなかったかもしれないと思います。
また、著名な監督であれば、自分の作品が評判を得るであろうタイミングを見計らって製作する時期を考えるでしょうから、もし、アメリカが望む形でベトナム戦争終結することができていれば、ソルジャーブルーでなく、強いアメリカ礼賛の映画を製作していたかもしれません。

実際は、戦線は泥沼状態で、息子達を送りこんでいる善良なるアメリカ国民の間には厭戦気分が満ちていたといいます。
当時、ベトナムでのアメリカの対外姿勢を見直すべきという考えは、音楽の世界でも蔓延していました。反戦歌は色々な所で歌われ、反戦厭戦的な曲はジャンルを超えて広がっていました。
これは日本にいても感じたことで、それまで反戦的な曲など歌わなかったアメリカの歌い手が、アニュイな厭戦的な曲調のものを出すようになったり、CCRの曲が放送禁止になるらしいという話を聞き、それまで歌詞を気にもしないで聴いていたのに、英和辞典で歌詞の意味を調べ出したことなどもありました。

いずれにしろ、アメリカの行ってきたネイティブアメリカンへの仕打ちを白日にさらすことで、戦争の欺瞞性を国民に気付かせ、ベトナム戦争は終わりにしてくれという気持ちを大きな声にして、為政者達に訴えるという意味合いもあったように思います。

それはそれで、評価すべきこととは思うのですが、ネイティブアメリカンに対しては、アメリカ国内ではいろいろと立派な文献もあります。事実の発掘はそれほど難しいことではないように思います。
日本の先住民族大和朝廷との軋轢は1000年以上も前に遡ります。客観的資料を探そうにも、そもそも記録自体が乏しいでしょうから、検証できないことが多いと思います。しかし、アメリカの場合は百数十年前のこと。
見たくない物は見ないという態度を取らないのであれば、良心的アメリカ人にネイティブアメリカン抑圧の史実は開かれています。
もっとも、ある程度の年数を経ないと客観的に眺め、議論することができないという面はあるでしょうが、他方では年月は事実も風化させ、でっちあげ史実をはびこらせるということもあり、難しいことではあります。


映画「ソルジャーブルー」の最後の方に、1864年に起きたサンドクリークの大虐殺の様子が展開されていきます。
あまり出来の良い映画ではないと思って見ていた私は、その場面を見て衝撃を受けました。
これはフィクションではないのかもしれないと思いました。
遅ればせながら、この時にやっとヒロインに感情移入できるようになり、製作者の意図が理解できた気がしました。

西部劇の魅力(7)

西部劇の魅力に夢中になっていた子供の頃、ネイティブアメリカンに捕まると頭の皮を剥がされるということは、子供達の中では半ば「常識」の部類に入る知識でした。

確か、彼らが集団で暮らしている住居近くに、捕らえた白人達の頭の皮が干してある映画の一シーンなどもあったと思います。
最初に、私は彼らがそうした行為をするということを知った時には、大変ショックを受けたのを覚えています。
何と恐ろしいことをする人間が存在するのだろうと思いました。
私にとっては、これも子供の間の情報レベルに過ぎませんが、『首狩り族』や『人食い人種』の類の残酷さを持ちながら、白人と渡り合うだけの知力を持っているのがネイティブアメリカンという認識だったのです。
自然、西部劇を見ている時に、感情移入するのは白人の方になります。

大分経ってからでした。
その程度の知識しか持ち合わせていなかった自分が、今まで自分が持っていた認識は全く違うのではないかと、ある映画を見た時に思いました。

自分が知っているつもりになっていたネイティブアメリカンは、虚像だったのではないかと。
中にはアパッチ族のように略奪を主とする部族もあったようですが、西部劇で見たネイティブアメリカンの行為の大部分は、白人側の情報操作に過ぎなかったのではないかと感じたのです。
その時にはまだ、ネイティブアメリカンの頭の皮を、白人達の間で、剥いだ人への報奨の意味も含めて高く買い取っていたという事実を私は知りませんでした。


一つの街で生まれ育って、そこで大半の人生を過ごしていく人々にとって、自分の人生観ががらっと変わるような出会いは数少ないと思います。
親、兄弟、親類縁者、地域の人達、学校の先生、友人、幸せでそれぞれ楽しかったり良い影響は受けていても、その地域が『健全』で、そこの人達が『良い』人達であればあるほど、そこに住む私達の頭にはバイアスがかかり、心は『常識的』『健全さ』に無意識にとらわれています。

人の行き来が少ない時代は、そうして『幸せな人生』を終えるということは、とても恵まれたことだろうと思います。多分、そこに住む人達は、一生の間に他の人に迷惑をかけたということは、成長過程でお世話になったという類のことを除けば、あまりないのではないでしょうか。また、迷惑といったところでその程度は、後日笑い話になるものが大半ではないかと思います。

私は、ある意味そんな平穏な田舎で育ちました。一冊の本との出会いや、一つの映画との出会い位が、刺激と呼べるものでした。

ところで、
頭の中で自分は他民族の人達に偏見を持つことはないという自信のある人が、例えば、人が入り込むことの少ない赤道に近い原生林の中で、見たことのない集団に出会ったとしたらどんな感覚にとらわれるでしょうか。

その集団は、乾燥させた木の皮で編んだ服を着用しています。
粗い皮の紐の網目からは浅黒く逞しい皮膚や下半身からは生殖器も見て取れます。
足にはやはり木の皮と獣の皮を織りこんだような履物を履いています。
上半身は人骨の一部に穴を開けて紐をつけたものを、全員が首からぶら下げています。肋骨のような太さの骨を1本ぶら下げている男も、それを3本も4本もぶら下げている大男もいます。
訳のわからない言語のようなものを、時にはひそひそと、時には大きな声を張り上げコミュニケーションを取っているように見えます。

私がこんな集団に出会ったら、周囲に撮影隊がいないかをまず最初にチェックするでしょう。その存在が見当たらないとわかるや、震えながら逃げだしているかもしれません。
「やあ、皆さん初めてお会いしますね!」などという挨拶を明るく切りだすことは、とても、考えにくいと思います。

しかし、自分達とは文明の度合いが異なり、ゆったりとした流れの時間軸に暮らしている人達だと考えてみれば、多少は冷静に観察する余裕も出てきそうです。

いかにも未開の住民のような服装に見える、乾燥させた木の皮を織りあげた衣服や靴は、暑くて湿度の高い地域では風を通して身を守る丈夫な衣服としては適切なのかもしれません。

人骨を首からぶら下げているというのはどうでしょう。
他部族と争った時に殺した相手の骨を戦利品として装飾に使っている?
いえいえ、そう考えるのは多分にアングロサクソン的な発想ではないだろうかと私は思います(決めつけ過ぎかもしれませんが)

一緒に過ごしていた親が亡くなり、親の形見として明確なシンボリックな存在として肋骨を自分の身につける風習を持っている民族だとしたらどうでしょうか。
身につけているのは、父親の、母親の骨。
病気で亡くなってしまった妻の骨。
不幸にも野獣に食い殺されてしまった子供が不憫で忘れられず、子供のシンボリックなものを肌身離さず身につけていたいという父親の思い。
果たして野蛮な民族でしょうか。

話は飛びますが、約3万年前に滅亡したと言われているネアンデルタール人は、埋葬の文化や芸術を愛でる文化を持っていたのではないかと考える学者もいます。
イラクのシャニダール遺跡の洞窟から、ネアンデルタール人の化石とともに数種類の花粉が発見されています。8種類以上の花の花粉や花弁が含まれているそうで、周辺に自生していたものではないものもあったそうです。これは、わざわざ、別な所に花を摘みに行ったと考えられます。
また、ネアンデルタール人は、体の不自由な仲間を助けて生活していた節もあったようです。
彼らには死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があったために遺体の化石のそばに花粉があったのではないかと想像できます。
人類の系譜であるホモサピエンスとは、直接のつながりはないとされるネアンデルタール人ですが、何万年も前に弱者をいたわり助けあって生きていたということに、何とも考えさせられるところがあります。人類の進化の方向は大丈夫なのだろうかと、大それたことを思ったりします。

しかし、ネアンデルタール人が絶滅することなく、3万年前とさほど変わらない状態で現代に存在していたとしたら、私達は、同じ国にネアンデルタール人と一緒に暮らすことができるでしょうか。
差別は良くないと、ポリティカル・コレクトネス(political correctness)として頭で判っていても、差別が悪いなどというのは後智慧に過ぎません。
単に頭の中の知識であり、現実は、風貌も服装も態度も発する声も、聞く物見る物総てが気に食わない。生理的にどうにも我慢できないという気持ちを抑えきれないという人は少なくないでしょう。
今では世界の一流文明人と目されることもあるアメリカ人は、ネアンデルタール人よりもはるかに文化的なネイティブアメリカンでさえも我慢できなかったわけですから。

今の時代殺すわけにはいかないから(現在でも異民族を平気で殺している国もありますが)、どこかに隔離しようとなるかもしれません。それでもネイティブアメリカンに対しての処遇よりはましですが、差別意識はそれ程変わらないかもしれないのでは、などと思ってしまいます。
人類の進化のレベルは、などと、またしても、大それた、というより、無責任な評論家的な思いがでてきますが、神の視点というものがもしあるならば、文明国と呼ばれる国に住んでいる私達は、3万年前の頃のネアンデルタール人と比べて、一体どの程度の進歩に見えるのか、知りたくもあります。

西部劇の魅力(6)

ローラさんが『大草原の小さな家』の原体験をされていた頃、
ローラさんの住んでいた周辺では、ネイティブアメリカンはどのような存在だったのでしょうか。
昨日の初版本の記述の訳を再度引用します。

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そこでは野生の動物たちが、見渡すかぎりどこまでも続いている牧草地にでもいるかのように、自由に歩き回って餌を食んでいました。どちらを見ても人間はいません。その土地に暮らしていたのはインディアンだけだったのです。

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この文章からしますと、ネイティブアメリカンしか住んでいなかった土地に白人達が家を建て街を作り生活をするようになったことが分かります。

恐らく、それまで白人のいなかったその地に白人が入植して街を作り、自分達の土地のように振る舞うようになっても、ネイティブアメリカンは大人しく、自分達の生活・文化を守って、入植者たちの邪魔にならないように生きていたのではないかと思います。

ローラさんから見たら、人間としてカウントしないような存在、特別に分類するような存在ではなかった。
他方、母親のキャロラインさんや父親のチャールズさんは、その存在を十分意識していた訳なのですが。

ネイティブアメリカンの生活領域に白人たちがどんどん入ってきて、両者が接する機会が増えてくれば、軋轢は生じるでしょうし、他所者に傍若無人に振る舞われたり、自分達のことを汚らしいものを見る目で見たりされれば、ネイティブアメリカンは面白くはないでしょう。しかし、騎兵隊とネイティブアメリカンとの戦闘が生じるような風景は、『大草原の小さな家』にはみられませんでした。


日本人は部屋の中で魚を焼くから部屋を貸したくないという大家さんがアメリカには多いなどと、昔は聞いたことがありましたが、生活様式、風俗の違いにより相手に嫌悪感を抱くということが生じる場合があります。
白人たちは文化の違いから、ネイティブアメリカンの風俗には馴染めないところがあったでしょう。
特に育ちの良い人達は(女性は特にその傾向があると思いますが)、意味のわからない言葉を大きな声で発している人達について、ネイティブアメリカンに限らず忌避するようなところがあると思います。
皮膚の色も白くはなく、私達日本人と同じ黄色ですし。


今の私達は、世界の地域で暮らす人達の風俗、例えば服装などは、長い年月を経てその土地の気候を考えた結果、過ごしやすいように工夫されて作られているのを知っていますが、世界観が狭く比較的均一な文化・文明の中で育ってきた人達には、自分達と違った衣装や装飾品をつけている民族に出会った場合、単に奇異な感じでしか見られない場合が多いと思います。
自分達が理解できないことは、奇異で汚らしい、ケガラワシイ、野蛮といった感情で割りきろうとする場合があります。

中にはとても残酷に思え理解しにくい風習が残っている地域もありますが、それも理解を深めると歴史的理由がある場合が多いと思います。
その理由が、評価する時点では消失してしまっている場合には、悪習と感じるかもしれません。しかし、それだけをもってして、野蛮等とは決めつけられないものです。

世界の多くの民族が同時代性を共有できるようになったのは、ごく最近のことです。それまでは文明が開花し文化が息づいていく時間軸は、民族によって違いがあります。今でも世界の時間軸と自国の時間軸との圧倒的な違いに焦燥感に駆られる国のリーダー達もいることでしょう。
しかし、自分達の時間軸による文明の進化の尺度により、他の時間軸で生きている人達を批判することは自由ですが、その人達の大らかさ、人の良さ、無防備さにかこつけて、その生活領域を侵食していくのは、泥棒と大差がないように思います。
自分たち民族の間には徹底する人権意識を、時間軸の違う民族には適用しようとしない恣意性は、あまりに身勝手と思えますが、これを制御するのがいかに難しいかは、これまでの歴史の中にたくさんの事例をみることができます。

西部劇の魅力(5)

先日『大草原の小さな家』の時代について調べていたら、

ローラさんの1935年に出た原作本の一部の表記が、1950年の版では書き換えられているという事を、北山耕平氏の下記サイトを見て知りました。

北山氏は宝島の編集長や数々の雑誌に携わり、著作、翻訳等多彩な活動をされている方です。氏はアメリ先住民族の精神復興運動に尽力されたり、その他先住民族の造詣に深く、先住民の方々が受けている誤解や偏見に対して、事実の究明をされています。

Native Heart

北山氏が典拠されているのは、下記サイトです。


『American Indians in Children's Literature (AICL) 』


さて、北山氏のサイトから、そのまま引用します

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ローラ・インガルス・ワイルダーが「大草原の小さな家」の初版のある部分を十数年後に書き直していた背景になにがあったか、あるいは野蛮人は人間ではないという無意識に焼き込まれた保守思想
プエブロ・インディアン出身の教育者であるデビー・リース(Debbie Reese )さんは子どものために書かれた文学作品のなかに描かれているアメリカ・インディアンの研究をする先生でこのブログでも過去にも取りあげたことがあるが、そのリース先生が11月1日付のブログの記事「Edit(s) to 1935 edition of LITTLE HOUSE ON THE PRAIRIE?」(1935年版の「大草原の小さな家」に書き換え?)で興味深い指摘をしている。


それは1935年にアメリカで初版が刊行された『大草原の小さな家』(写真上左)という本についてだが、後に刊行された1950年版(写真上右)では挿絵が変更されただけでなくて、本文にも書き直されている部分があるというのだ。初版が出たあと、誰かが著者であるローラ・インガルス・ワイルダーに文章の変更を要求して受け入れられたらしい。


初版ではその個所は次のように記述されていた。

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そこでは野生の動物たちが、見渡すかぎりどこまでも続いている牧草地にでもいるかのように、自由に歩き回って餌を食んでいました。どちらを見ても人間はいません。その土地に暮らしていたのはインディアンだけだったのです。

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これが2版以降はこうなっている。

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そこでは野生の動物たちが、見渡すかぎりどこまでも続いている牧草地にでもいるかのように、自由に歩き回って餌を食んでいました。どちらを見ても入植者はいません。その土地に暮らしていたのはインディアンだけだったのです。

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英語では初版は「people」となっているところが、再版からは「settlers」に変更されている。settlers には「移住者、開拓者、入植者」という意味がある。この変更は、ある意味で重要だが、無意識のうちに焼きつけられている人種偏見をぬぐい去るに至ったかどうかは疑問が残る。なぜならその土地にはすでにネイティブの人たちが長く暮らしてきていたからだ。その個所でローラ・インガルス・ワイルダーが、インディアンとそれ以外の人を区別して書き表したかったのなら、ほんとうは「白人」「white people」とするべきだったかもしれない。

デビー先生は過去にも「大草原の小さな家」にはアメリカの保守とされる人たちの考え方が色濃く反映されていて、「アメリカ・インディアンを野蛮人として描く傾向があり、自分たち以外を野蛮人として、人間的に劣る存在として表現する」と指摘した。結局アメリカ人だけでなく、日本人も含めて、成長過程で保守思想を吹き込まれた人たちは、「どこかに劣った者たちがいなくてはならない」と考える差別にとりつかれているようだ。・・・・・

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書き換えられた箇所は、非常に興味深いところです。
初版と2版との表記の違いは僅かな部分ですが、大きな意味があると思います。

善良で誠実さの溢れる作中人物を配した作者の目からすると、当初は、ネイティブアメリカンは視界に入っていながら、人間にカウントされていなかったということでしょう。
恐らく、この物語を読んだり、後にTV番組を楽しみにしていたアメリカ人達は、とても健全な家庭を持ち、豊かで教育熱心な理想や道徳とかいった意識の高い方達が多かったのではないでしょうか。
ローラさんの作品が出版された時、常識的な健全なアメリカ人達は、この物語の記述に違和感を感じていなかったものと思います。

人間にカウントしないということは、つまり特別に認識するに足る存在ではなかったということではないかと思います。

入植者たちに対して私が西部劇で見たような荒々しく粗暴な態度をネイティブアメリカンが取っていたなら、人間にカウントしない、つまり特別に認識するに足る存在どころではなく、入植者たちにとって極めて大きな害をなす存在であり、何らかの特別な分類にカウントしていた筈だと思います。
それは、例えば、コヨーテや狼などの、人間に害をなす人間以外の特別な存在として、何らかの分類を行い、そこにカウントしていたと思います。

ただし、作者のローラさんは子供の頃だった感性を生かして書かれたのでしょうが、お母さんのキャロライン・インガルスさんは先住民族を嫌っていたようです。
それまでに先住民族と接した経験や、伝え聞く噂もあったでしょう、未開の文明を持った粗野な野蛮人と思っていたかもしれません。商店などで先住民を見かけたりした際に、良い印象を抱くことができなかったのでしょう。

私は原作本を読んでおらず、TVで放映された内容しか知りませんが、
ドラマでの父親のチャールズ・インガルスさんはネイティブアメリカン智慧を評価して、見かけや風俗だけで人を判断すべきでないと考えていたように思えます。
演じたマイケル・ランドン氏の、開拓民のような逞しく頼りがいがありながら、知的で爽やかな風貌が、とても素敵なお父さん像として印象に残っています。

この人は自分で家や小屋を作ったり、家畜の世話をしたり、家族の精神的な支えにもなったり。
しかも、机上で物を考えたり、内奥の本質を見抜かずに見かけで判断し嫌悪することはなかったようです。実際に見て、会って、話をして、その発言の内容が実際はどうなのか検証して、その内容を重視して、人間を判断していたのですね。文字にすると、何か小難しく理屈っぽい感じがしますが、このお父さんは、自ら、実際に泥まみれになりながら生活をして、人間としてすぐれた感性を持っていた人として描かれています。

初版の原作本からは、TVドラマは大分変えられているのでしょうが、
教育の場で、どういうことを教えなければいけないかということを、このお父さんの生きざまから、私達は学ぶことができると思います。

西部劇の魅力(4)

長い歴史を持った民族は、生き永らえる智慧を持っています。しかし、それが違った文化や智慧を持った異民族と対峙した時に、不幸が生まれる場合が出てきます。

これは日本の広い地域を統一した大和朝廷アイヌとの関係にも言えると思います。
日本の場合は、強者側にも悪意がなかったのではないかと思える節もありますが、それでも不幸な結果が生じました。
アメリカではどうだったでしょうか。
明らかに悪意があったと思える人もいます。また、悪意とは気付かない多くの市井の人々もいたように思います。しかし、私達は、この悪意を感じないということが、いかに残酷なことかということを今では知っています。


アメリカ文化を評して、以前はメルティングポットなどと良く言われていました。何でものみ込んでしまうダイナミックさを象徴しているのでしょうが、学生の頃この言葉を聞いた時、メルティングというと、尖ったところが溶けて融和し合っている様子を、私はこの語感から連想しました。いろいろな国から移り住んできた人達についても、メルティングが起きているのだろうなどと勝手に解釈したのです。
私は、アメリカ本土に行ったこともありませんが、私が感じた語感とは、実際は全く異なっているのだろうと思います。
私が知り合ったアメリカ人は、主にカソリックの人達でしたが、快活でユーモアがありコミュニケーションに積極的でした。
私の息子にも、若者は気を使い、一緒に良く遊んでくれました。また、大学で教えていた年配の方も、ジョークの好きな人で、奥様ともども息子にも積極的に話しかけてくれました。同じ年配の日本人の先生だったら、はたしてあんなフレンドリーに振舞うだろうかと思います。
色々な性格の人もいるでしょうが、私が知り合った人達は、サービス精神の旺盛な人達でした。
中には、口数の少ない青年もいましたが、それでも、自分から相手に伝えよう、伝えようという気持ちの強さを感じました。しかし、押しつけがましい所はなく、節度のある人が多かったように思います。

今ではアメリカの特徴は、メルトではなく、尖っている所が相手を突きささないように、積極的にコミュニケートすることで、理解し合おうとしているのではないかと思います。
アメリカでは、例えば運転免許を取得するのは簡単だと言います。異民族国家で試験のハードルが高ければ、マジョリティーのための資格になってしまいますので、当然といえば当然ですね。
ハンディーキャップのある人も、日本よりずっと暮らしやすいという人もいます。

お互いに譲れない所を持っている民族が、同じ国で生活をするために、社会のハードルは低くして、その代わり、法に触れた時は厳しく対処するというのがアメリカ的な様に感じます。住み分けたり、共生してうまく生活する智慧を、アメリカ人達はたくさんのことから学んで長い期間を経て身につけてきたのだろうと思います。

現在のアメリカ合衆国であれば、アメリ先住民族との付き合い方がもっとうまくできたことでしょう。悲劇ももう少し緩和されていたかもしれません。


先住民族が不幸な道を歩むのは、先住民族の都合ではなく、入植者達の都合でした。


入植者たちの人口が増えて窮屈になれば、自分達が住む領域を広げます。
先住民族の住んでいる土地は、水を得たり作物を作ったり家畜を飼ったりするのに便利な地域であり、人間が生活するための適度な条件を満たす、豊かな土地です。先に住んでいる人達は、当然そういう場所を選んで住んでいる筈です。

私が西部劇を夢中で見ていた頃、ドラマの中の先住民族は豊かな土地には住んでいるようには見えませんでした。

メイフラワー号がやってきた時、乗っていた人達に親切に対応した先住民族達。アメリカ東部にも住んでいたのです。
西部劇の中で先住民族の現れる舞台は、多くが荒涼とした平原に異様な形の岩山が続いている場所です。ヨセミテ周辺が絶好の撮影場所という面もあるでしょうが、この頃の時代は、既に東部の豊かな土地から追われて、生活するのにより過酷な場所での共同生活を送っていた人達が多かったのではないでしょうか。

西部劇の魅力(3)

大草原の小さな家』というアメリカのTVドラマがありました。日本ではNHKで放映され、人気のあった番組でしたので、ご記憶の方も多いと思います。
私もよく見ていた時期がありました。登場人物が素朴で、多少ステレオタイプな嫌いはありましたが、主人公達はとても前向きで、健全で、素敵な家族に思えました。牧歌的な自然や街並みなど、映像も魅力的で、見る人をさぞかし惹きつけたことでしょう。

西部の開拓時代の物語で、入植者たちの日常から起こる、いろいろなことが、事件として展開され、そこで子供や大人が影響し合い成長していくといった、ある意味でとても健全で前向きな番組だったように記憶しています。
綺麗にまとめすぎていると言う人もいましたが、私はこんなに誠実で前向きな家族は理想的とも言えるのではないかと思いました。

この物語は、この家族の次女のローラ・インガルス・ ワイルダーさんが作者でしたね。

主人公は西部の開拓者家族であり、先住民族との接点も出てきます。

ウイキペデイアを見ますと、

西部開拓時代のアメリカ(1870年代から1880年代にかけて)を舞台にしており、インガルス一家はウィスコンシン州カンザス州―ミネソタ州サウスダコタ州と移り住む。

とあり、

テレビドラマ化される際、インディアンをどう扱うのか、アメリカ本国では特に大きな話題になったと言われている。原作ではキャロライン・インガルスがインディアンに対し好感情を持っていないと見られる描写が多く(当時のアメリカ人の一般像でもあった)、そのままドラマ化するのかどうかが興味の対象だった。結果として、インディアンへの差別をテーマとしたストーリーも数話製作されたが、インガルス家は一貫してインディアンに対して好意的な立場であった。黒人への人種差別に関するストーリーについても同様である。

このキャロライン・インガルスさんとは、ローラさんの母親です。


ところで、一説によれば、白人が入植する前、先住民族は氷河期後期からアメリカ大陸に住み着いていたと言われています。約2万年前とも1万2000年ほど前とも言われます。
コロンブスアメリカ大陸を発見したのが1492年ですが、その当時に今のアメリカに住んでいた先住民族の人口は、100万人前後と推定されています。

先住民族といえば、日本には広範囲な地域でアイヌと呼ばれる人達が住んでいました。
アイヌの人々は魚を獲るにも、一つの川で獲り過ぎないように配慮していたと言います。資源が枯渇しないように自分達の生活と、生活資源とのバランスを図り、資源が再生できるような知恵を持っていたのです。
川に上がってくる鮭を獲る数を制限し、獲った鮭からは、肉や骨も利用し、皮からは靴を作りました。無駄を極力排して資源を大切にしていました。
アイヌは自然と共生し、再現可能な生活様式・文化を維持していたのです。

アメリカの先住民族も独自の文化を育み、部族間のいがみ合いや喧嘩などの戦いはあったかもしれませんが、やはり再現可能で持続できる生活形態・文化を持って、1万年以上に渡って自分達の民族を繁栄させてきたのです。

それが、コロンブスにより、西欧人たちの歴史に姿を現すや、西欧人の移住攻勢によって先住民族の平穏は破られます。アメリカの西部開拓の歴史に伴って、先住民族の不幸が、侵略と殺戮を交えながら進むことになります。

ポルトガル人やスペイン人が南アメリカにたどり着いたとき、先住民族は食事や寝る場所を提供したりしてくれたり、大陸で生活する術を手ほどきしてくれたと言います。彼らはこうして親身に接してくれた先住民族から奪えるものを奪った後に殺戮します。

先住民族の厚意は、アメリカでも同じだったようです。
彼らは、当初入植してきた白人に友好的に接したようです。
メイフラワー号でやってきた白人達に食べ物を与え、その作り方を教え、作物を育てる土地を肥沃にする方法も教えました。カヌーの作り方や、動物の捕まえ方、食用にできる植物の見つけ方や病気の治し方も教えました。

また、アメリカ大陸の厳しい冬の過ごし方を知らない、入植者達に冬の乗り切り方を教えてくれたり、親切の限りを尽くしたといっても良いと思います。

入植者にとっては恩人とも言える存在です。