西部劇の魅力(15):Thanksgiving Day

アメリカのビッグイベントの一つに感謝祭(Thanksgiving Day)があります。
この感謝祭はアメリカ社会の中では比重がとても大きなもののようです。

多くのアメリカの人達は、感謝祭を、親族や友人が集まって食事会を行ったりする、大切な家族の行事の一つと位置づけているようです。
感謝祭前日と感謝祭休日最後となる日曜日は、道路が大渋滞になるといいます。
道路の他に、空港や、鉄道などの交通機関も大混雑となるようです。
日本のお盆やお正月の帰省ラッシュのようなものでしょうか。

感謝祭の当日は、地元の空港などは閑散とした状況になるそうです。行楽時期とは異なり、感謝祭は人の行き来が少なくなり、郷里や縁のある地域で、家族や親戚、友人が集まるイベントのようです。自分に関係の深い人達との絆を深め確認するという意味では、私達のお盆やお正月と似ているところがあるように思えます。

先日約1年半振りにアメリカから帰国した息子の話では、感謝祭はアメリカ全土で広く行われているイベントだと思うということです。
息子は感謝祭は、アメリカ大陸にやってきた白人に親切にしてくれたネイテイブアメリカンに感謝する記念日だと理解していると言っていました。アメリカでは小学校でも低学年の頃からそのように教えられているようですが、実際は、感謝祭は、家族や親類等大切な人達と食事をするイベントとして広く浸透しているようです。

感謝祭の由来については、異論もあるようですが。
主には、イギリスからマサチューセッツ州プリマス植民地に移住したピルグリムファーザーズの最初の収穫を記念する行事と考えられているようです。

1620年にピルグリムプリマスに到着しますが、その冬は大変厳しくて、たくさんの死者を出したそうです。翌年、近隣に居住するインディアンのワンパノアグ族からトウモロコシなどのアメリカ大陸の作物の栽培方法などを教えてもらい、厳しい冬を生き延びることができました。

1621年の秋は、収穫が多かったそうで、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたということを起源としているとされています。
日本で言う新嘗祭のようなものでしょうか、イギリス人入植者やワンパノアグ族には、秋の収穫を祝う伝統があったそうです。この年招待した出来事は感謝祭とは考えられていなく、プリマス植民地で最初に祝われた感謝祭は、1623年に教会で礼拝を行い、神に感謝を捧げるという宗教的な意味合いが強かったそうです。しかし、このとき本当にネイテイブへの感謝の気持ちを捧げるような空気があったのでしょうか。

プリマス植民地では、ワンパノアグ族族長マサソイットと友好関係が結ばれましたが、近隣の多くの諸部族とは敵対していたといいます。
入植2年後の1622年には、プリマス軍はマサチューセッツ族の族長4人を謀殺し、その首を棒に突きさし20年間もプリマス砦の上に曝していたといいます。
30年に植民が開始されたマサチューセッツ植民地では、37年にピークオート戦争がおこり、500人のピークオート族が虐殺されたなどという記録もあります。
ワンパノアグ族も虐殺され、侵略とも呼ぶべき入植の歴史が進んでいきます。

こうした経過を見てみると、当時、感謝祭がネイテイブアメリカンに感謝をする記念日であったとは思えません。せいぜい、収穫祭の席にたまたまネイテイブアメリカンを呼んだだけ、程度のことではないのでしょうか。
感謝祭をネイテイブアメリカンに結びつけるのは、後付けに過ぎないような気がします。

さて、プリマス植民地がイギリスの植民地として、どれだけの根拠があったものでしょうか。

ピルグリムが入植したことに対して、ネイテイブアメリカンの抵抗がほとんど無かったことは、その寄る辺とすべき根拠は形式的なものでよいということになりやすいと思います。
抵抗がなかったということは、イギリスがアメリカ大陸を植民地化するために、その正当性について、あれこれ悩むこともなかったということではないでしょうか。