主役交代

昨日、国会中継の模様を短時間でしたが、ぼんやりと眺めていました。
民主党議員の質問に、安倍総理、麻生副総理が答えているのは、見慣れてきた光景ですが、
昨日はリフレ派の重鎮、日銀の黒田総裁と岩田副総裁が受け答えをされていました。


質問されたお二人の、後ろの席に座っていた多分日銀スタッフでしょう、レジメの数字等の説明をされているようでしたが、これはお二人とも就任したばかりで引き継ぎも完全ではないでしょうから、特に不自然なことではないと思います。不自然でないどころか、通常では取り巻きが用意したレジメを棒読みする答弁者が多い中を、お二人は、恐らくレジメや想定応酬答弁集にもないであろう発言をしっかりされているように見受けられました。

黒田氏は、質問者の質問に答えますが、質問者はさらに問題を深めた質問をしていきます。
民主党議員の、従前日銀統計の消費者物価指数は都合の良い使い方をしていると指摘し、より実態を表すコアコアCPI等を使用すべきではないかという主旨の質問に対しては、コアコアCPIでは網羅できる範囲が少ないので、網羅する品目の多いコアCPIを基本にして、生鮮食料品の物価変動は特殊な動き方をするので、それらを調整した指数を使用したい旨の発言をされていました。

こうした打てば響く所は、従来の官僚や日銀出身者には見られない感性のようで、質問者も満足した答弁だったようです。
政策が基本になる政府機関で、政策論議が行われ難くしているとしか思えない資料や答弁が見られる場合があり、そうした担当者に質問したところで議論はいっこうに深まらず、問題解決も行われません。
他方では、議員側でも問題を深めるための能力を磨いていないと思える場合もあり、問題の糸口を目前にしながら解き明かすことができないでいるため、こちらが隔靴掻痒の思いでストレスを溜め込んでしまいます。

前政権時は、国会議員制度そのものが、就職困難者に名誉職を与える救済制度ではないかと感じる場合もあり、確かにこの制度によって救われているような議員を見かける時もありました。

「大きく叩けば、大きく響く」とは、西郷隆盛の人となり、その人間の大きさを釣鐘に例えて現わした様ですが、議員の劣化・勉強不足から国会議員は大きく叩くことができず、鐘の方はそれを良いことに、大きく響かせることなく、無作為を決め込むというのが、ここ最近見られた政治家と政府との関係のように思います。


さて、岩田氏に対しても、民主党の議員は、インフレターゲットの2%が達成できない時の責任を問うていましたが、もとより、未達だから責任を取るという性質のものではないと思いますが、岩田氏は、達成できなかった時には、何故達成できなかったかの説明を行い、その説明責任をもってして理解してもらえないようであれば責任を取るという主旨のことを仰っていました。
非常に、当事者意識の強さを感じさせる発言に思います。逃げ場を常に用意して保身に終始する官僚の答弁とは違い、さすが武闘派の片鱗を感じさせます。国の機関で働く人には、こうした姿勢を期待したいところです。

質問者は、日銀のオペレーションに物価の安定、雇用の目標値も期待しているようです。
アメリカのFRB連邦準備制度理事会)は失業率が6.5%程度になるまで金融緩和を持続するというアナウンスをしており、FRBに倣って、雇用も日銀の金融政策のターゲットにしたらどうかという投げかけのようでしたが、それはあくまで金融政策の結果という意味の言い方をされていました。

独立性という逃げ口上を言い訳に、これまで拱手傍観しているような印象が強かった中央銀行です。
この機関の無作為のせいで何万人もの人々が命を絶たざるを得なかったと言われていますが、それでも尚、日銀の無作為さを批判するよりも独立性が損なわれていないかに関心を向けようとする人の多いこと。
自分で物を考える能力よりも、既成の物差し・尺度を与件としてありがたく戴き、権威の価値尺度と寸分違わないことを良しとする隷属意識も、偏差値教育の大きな成果に思えます。


さて、現在の日本の状況は、デフレの単純な現象である、需要と供給のアンバランスさによる筈としか、経済学のごく基本しか知らない自分には思えません。
供給能力が需要に対し過大となってしまい、そこに(デフレ)ギャップが発生しています。
物価が長期間下落してきたのは、そのためと思いますが、この問題を解決しようとする政策が、支持されにくいというのが今の日本の危機的な状況に思えます。