混合診療の問題(5)

大分日が空いてしまいましたが、混合診療の項目の最初の話題に戻ります。
混合診療に関して、保険制度との関係について述べてきましたが、病院長が指摘された問題は、全く別なことでした。

この病院長は医療や介護の問題に大変真摯に取り組まれている方で、患者・利用者の目線や、サービスを向上させるためにはどうしたら良いかということが常に念頭にあります。TPP等にもとても冷静な見方をされています。

医療関係者の方々の多くは、混合診療解禁になった場合、アメリカ法人が日本の医療の現場に入ってくるだろうという見方をされているようです。医師会等がTPPに反対しているのもこうした点があるようですが、いずれ、アメリカから日本政府に相応の圧力がかかることが想定されます。

富裕層は海外に出向き医療サービスを受けたりします。そうした先端医療や、今まで日本で認められていなかった治療法や薬品の処方に精通しているのはアメリカ等の海外の医師、医療機関です。
そうした先進治療を必要としていながら、その恩恵に浴することのできなかった多くの日本の患者は、アメリカの医療機関からしたら魅力的に映るでしょう。


日本の、特に介護の現場での看護師不足についての話題の最中に、混合診療解禁の話題になったのは、看護師不足の解決策がそこにあるからとの考えからでした。

いざ解禁になった場合、先ず英語の堪能な日本の看護師さん達は、海外からやってきた医療法人には大変魅力的な存在です。
日本の患者に対して日本語で丁寧に応対して、自分の思っていることを率直に相手に伝えることが不得手で、堅苦しい雰囲気の場所ではついつい遠慮しがちな日本の患者の気持ちを察することができ、要点を的確に英語で伝えることができる看護師さんはとても貴重な存在です。
しかし、英語に堪能な看護師は限られているでしょう。しかも、そんな状況になったら、看護師不足はより深刻になります。

医師について患者に寄り添うことのできる看護師は日本語に堪能である必要があるでしょう。
しかし、その他大部分の看護師は、日本語での意思疎通がこなせて、英語が話せれば良いのです。
アメリカの医師にとって英語の話せない日本の看護師は使えない存在と映るのではないだろうか。
彼らにとって必要なのは、安く使えて、感性が細やかで、英語に堪能な看護師。プライドが高いのではなく優しさに満ち溢れている看護師。

アメリカの医師達からは、感性の細やかで勤勉な、英語圏であるフィリピンの看護師を使いたいという声が大きくなるだろうというのが、院長の読みでした。

フィリピンからは多くの看護師希望者が日本に訪れています。英語は堪能で、日本語の会話も不自由しない人も少なくありません。
しかし、漢字圏でないフィリピン人にとって、日本語の会話はこなせても、漢字等の記述に難儀を感じている方々が多いのです。
日本国での国家資格は、日本語で書かれた専門用語満載の試験です。日本人にとって試験時間が十分でないと感じるならば、ASEAN諸国の人達にとって、試験問題の内容以前に、問題文の意味を解読するのに時間が相当かかるだろうと想像するに難くありません。

日本語の壁の前で、多くのフイリピン人が日本の看護師資格の取得を断念せざるを得ない状況について、以前取り上げました。

2013-02-18 日本語の壁(留学生・外国人就労者)の問題


アメリカの医療機関が進出してくれば、看護師の試験問題や資格制度が変わるかもしれません。

観光立国を目指そうとしている日本では、空港やデパート、駅のフォームでのアナウンスなども、英語、中国語、韓国語などが流れるようになってきています。
真面目で意欲的な海外の方達が、日本の国家試験を受けようとする場合に、政治的な制限を加えることはあっても、基準にあった資格者を増やす必要性があるのであれば、外国語を併記するような配慮があってもおかしくないと思います。
日本は外圧がないとなかなか制度変更ができにくい国です。試験制度について、日本政府に圧力がかかることで、広く門戸を開けるようになるのではないでしょうか。
そうなると、アメリカのお蔭で日本での看護師としての登竜門のハードルがぐんと下げられることになります。
対応をしようとしなかった日本政府には、意地悪な印象を持つかもしれません。
アメリカが救世主で、日本は意地悪な排斥者と映ってしまうようだと、何だか複雑な気持ちになります。

日本では看護師が少なくて、特に介護の現場では事業を円滑に続けられないケースも出てきています。
この院長は、フィリピンから看護師が大量に入ってくれば、仕事が大変やりやすくなるといいます。
ご自身がドイツで学んだ時は、やはりドイツ語の壁がありましたが、言葉の背後にある現実は十分理解でき、ドイツ語の記述は問題なかったので、対応できたと言います。
日本にくる外国人はそうはいきません。日本の試験問題は、難解な日本語での回答にこだわっています。
現実を理解できても、日本語でその現実を置きかえることができない限り、日本の看護師試験には合格できないのが現状なのです。

さて、これは、日本語の壁に守られている日本の看護師には都合がよいことです。外から来る人に仕事が奪われる確率がとても低くなりますから。

しかし、そうした障壁が取り外される可能性が高いのです。


私達は普段意識することは少ないですが、たくさんの壁に守られて生活しています。このブログでは、何度か、これらの障壁のことに触れてきました。
私達が他の国々と関わって暮らしていく時に、目に見えにくいこれらの障壁が問題になってくることが多々あります。

この障壁を低くしたり、取り払ったりすることは、先進国の部類に入る日本で生活する私達にはとても苦痛に感じられます。

先進国の植民地支配が終わってから、一部の地域を除けば何十年もの時が経っています。しかし、世界的な視点に立った場合先進国がその役割を果たしてきたようには思えません。
先進国が求めてきたのは所詮自分達の利益であり、それは後進国の犠牲のもとで成り立つ利益に過ぎない場合も少なくないように思います。

何だか綺麗事のような言い方になってしまいますが、こうした障壁を取り払うことで、私達が苦痛を感じることは、私達が先進国としての役割を果たしてこなかったツケであると言えるのではないでしょうか。