西部劇の魅力(4)

長い歴史を持った民族は、生き永らえる智慧を持っています。しかし、それが違った文化や智慧を持った異民族と対峙した時に、不幸が生まれる場合が出てきます。

これは日本の広い地域を統一した大和朝廷アイヌとの関係にも言えると思います。
日本の場合は、強者側にも悪意がなかったのではないかと思える節もありますが、それでも不幸な結果が生じました。
アメリカではどうだったでしょうか。
明らかに悪意があったと思える人もいます。また、悪意とは気付かない多くの市井の人々もいたように思います。しかし、私達は、この悪意を感じないということが、いかに残酷なことかということを今では知っています。


アメリカ文化を評して、以前はメルティングポットなどと良く言われていました。何でものみ込んでしまうダイナミックさを象徴しているのでしょうが、学生の頃この言葉を聞いた時、メルティングというと、尖ったところが溶けて融和し合っている様子を、私はこの語感から連想しました。いろいろな国から移り住んできた人達についても、メルティングが起きているのだろうなどと勝手に解釈したのです。
私は、アメリカ本土に行ったこともありませんが、私が感じた語感とは、実際は全く異なっているのだろうと思います。
私が知り合ったアメリカ人は、主にカソリックの人達でしたが、快活でユーモアがありコミュニケーションに積極的でした。
私の息子にも、若者は気を使い、一緒に良く遊んでくれました。また、大学で教えていた年配の方も、ジョークの好きな人で、奥様ともども息子にも積極的に話しかけてくれました。同じ年配の日本人の先生だったら、はたしてあんなフレンドリーに振舞うだろうかと思います。
色々な性格の人もいるでしょうが、私が知り合った人達は、サービス精神の旺盛な人達でした。
中には、口数の少ない青年もいましたが、それでも、自分から相手に伝えよう、伝えようという気持ちの強さを感じました。しかし、押しつけがましい所はなく、節度のある人が多かったように思います。

今ではアメリカの特徴は、メルトではなく、尖っている所が相手を突きささないように、積極的にコミュニケートすることで、理解し合おうとしているのではないかと思います。
アメリカでは、例えば運転免許を取得するのは簡単だと言います。異民族国家で試験のハードルが高ければ、マジョリティーのための資格になってしまいますので、当然といえば当然ですね。
ハンディーキャップのある人も、日本よりずっと暮らしやすいという人もいます。

お互いに譲れない所を持っている民族が、同じ国で生活をするために、社会のハードルは低くして、その代わり、法に触れた時は厳しく対処するというのがアメリカ的な様に感じます。住み分けたり、共生してうまく生活する智慧を、アメリカ人達はたくさんのことから学んで長い期間を経て身につけてきたのだろうと思います。

現在のアメリカ合衆国であれば、アメリ先住民族との付き合い方がもっとうまくできたことでしょう。悲劇ももう少し緩和されていたかもしれません。


先住民族が不幸な道を歩むのは、先住民族の都合ではなく、入植者達の都合でした。


入植者たちの人口が増えて窮屈になれば、自分達が住む領域を広げます。
先住民族の住んでいる土地は、水を得たり作物を作ったり家畜を飼ったりするのに便利な地域であり、人間が生活するための適度な条件を満たす、豊かな土地です。先に住んでいる人達は、当然そういう場所を選んで住んでいる筈です。

私が西部劇を夢中で見ていた頃、ドラマの中の先住民族は豊かな土地には住んでいるようには見えませんでした。

メイフラワー号がやってきた時、乗っていた人達に親切に対応した先住民族達。アメリカ東部にも住んでいたのです。
西部劇の中で先住民族の現れる舞台は、多くが荒涼とした平原に異様な形の岩山が続いている場所です。ヨセミテ周辺が絶好の撮影場所という面もあるでしょうが、この頃の時代は、既に東部の豊かな土地から追われて、生活するのにより過酷な場所での共同生活を送っていた人達が多かったのではないでしょうか。