昨日のエントリーに関連して

経済の高成長が止まり、明日は今日よりも良くなるという素朴な認識を
多くの人が持てなくなり、

成長することが必ずしも良いことだと思えなくなり、
成長するために努力したり犠牲を払ったりする必要性が感じられなくなる。

餓える可能性は限りなく低く、そこそこ豊かでもあるが、
それでいて幸福感を感じにくい国。

経済成長は止まり、停滞が生じ、今後大きな成長は期待できない国。

こうした国を、落ち目の国とは呼ばず、成熟国家と呼びます。


成熟国家の先進国イギリスを昨日は讃えたりしましたが、
実際は、未だにソフトランデイングに向けて悪戦苦闘しています。


イギリスの若者が暴徒化したのは、つい昨年の夏のことです。

あの時は、キャメロン首相は暴動鎮圧へ向けて、
「秩序回復のために必要なすべての措置を取る」と述べ、
断固とした姿勢を示しました。


さらにキャメロン首相は、暴徒化する若者らに、
「あなたたちは他人の生活やコミュニティーだけでなく、
自らの将来も破壊しようとしている」と自制を呼びかけました。


首相のこの声明を聞き、理性のブレーキをかけて暴徒に加わらなかった若者は、
大きな絶望感を感じたのではないかと私は思いました。

暴徒の行動は許されるべきではありませんが、暴動への参加者は、
自ら自分の将来を破壊するつもりなどなかった筈です。

自分達の将来を、自分達の可能性を破壊され、またはスポイルされ、
出口が見つからずに疲弊して行き場がなくなり絶望しての行動が、
暴動となったのでしょう。

他に訴える術ももたず、手を差し伸べられることもない若者達が、
人目を惹くインパクトのある主張を行おうとした結果が、
暴動という形になったのだと思います。

若者達の主張や行動に暴力行為が伴わなければ、
件の若者達は誰からも見向きもされなかったのではないでしょうか。


首相の発言が蓋然性を持つのは、
今まで若者達の教育、雇用、社会保障等を真摯に取り組んできたかどうかによります。

暴力行為は何も生みません。
善良な市民を不幸にする暴力行為を行えば、その償いをしなければなりません。

しかし、暴力行為を起こさざるを得ない状況を作ってしまったことは、
為政者の致命的な失政なのです。

そこを反省せずに、厳しく対応するということだけでは、
政府の無能振りを示しているに過ぎません。


暴徒に向けての成熟国家のリーダーとしての第一声は、

雇用改善に向けて、政権をかけて全力で取り組みたい。
破壊は何も生まない。
冷静になり、秩序を持った行動に回帰して欲しいという、
冷静な発言であるべきと思います。

本来国民をフォローすべきリーダーが、
長年の施策の歪みに出口を見いだせないでいる若者に、
何の共感も感じようともしないことに、
西欧社会の実態が救いようのない場所まで来てしまっていると感じます。


イギリスは出自の違いによる厚いリーダー層が存在して、
そのリーダー達が、格差の大きな国民をリードしてきたわけですが、
リーダーがリーダーたる条件を持てなくなってきているようにも思えます。


さて、日本も成熟国家の仲間入りをしました。

成長するために遮二無二努力したり犠牲を払うことは厭い、
先人達の払った労力の果実を、
社会の根幹を成す前提条件として享受したいという志向が強いのです。

当然、労力も少なければ、得られる果実も少なくて当然とも思えますが、
その少ない労力で得られる果実が、
先人達の頃よりも小さいことに喪失感を抱いたりします。


ヨーロッパの混乱ぶりを見ていると、胸が痛くなります。
成熟国家の行く末を示しているように見えるからです。

しかし、日本人の精神性は、成熟した社会を楽しみながら、
うまく料理して、新しい秩序を作り込んでいきそうにも思います。