制度変更への意思決定について


生活保護給付金の受給等が問題になっています。

今までも制度の不備を指摘する人達は多かったのですが、
問題の先送り先送りで、いっこうに改善する気配がありませんでした。
今回社会的に話題になるようなことが起こると、早速制度改訂の検討に入るような流れになってきたようです。

こうした行動様式はこの国では非常に多く、こうした意思決定への遅さと、政治家や官僚にとって、所詮他人事という温度を感じ取れないことからくる、問題への認識の鈍さに不満を持つ国民が増えてきているために、東京都や大阪市の意思決定スピードと主張の明確さとを支持する人達が目立つようになってきているという面があるように思います。

ただし、賛同するに熟慮した上でなら良いのですが、隔靴掻痒の感の意思決定にイライラするあまり、思考停止状態で明快な意思表示に飛び乗るような傾向が出てくるようですと、危険な兆候とも言えます。

もっとも、今の若い人達は、お仕着せの価値基準や判断の尺度でなく、自分の頭で物を考えている人達が案外多いように思います。
既得権益を守るという思考基準から抜けられずに、自分の頭で物を考えられないのは、私達旧世代の方がずっと多いと思います。


さて、不正受給の方法等は、ずいぶん以前から広く浸透していたような気がします。
私の身の回りでも、不正受給の具体的な方法などを真面目に話題にした会話が、
ごく自然に交わされていたのを覚えています。

偽装離婚をして、親権は母親がもち、男親は職に就けないことにして、
どちらも生活保護を受ければ、働かなくても、そこそこな生活ができるというような類です。

今回も似たようなケースが不正受給として発覚していますが、不正受給を受けていた人達の詳細なデータが把握できれば、今の社会の病巣がどこにあって、何を変えていけば、より良い社会にできるのかという処方箋もかけるように思います。

例えば、年代別、家庭環境、親子関係、所得水準、教育環境、その発言からの物の考え方、どういう仕事に就いていたか、等々の統計値は、問題の改善にあたり、重要な基礎データです。

現実には、個人の情報の保護のため、こうした点はブラックボックスになってしまうのでしょう。
そうなると、新たに何か問題が起きてからでないと、対応が取れないという、対症療法的な対応になってしまいます。
その間、未熟な制度の犠牲になる人が一定以上出てきて飽和点に達したり、社会問題になったりしてから、改善に重い腰を上げるというパターンです。


アメリカ人などは合理的な人種ですので、可能性で議論をして制度を作っていくというところがあり、意思決定もスピーディーな場合が多いように見えます。
ただし、経済活動でも、可能性で商品の不備を指摘され、損害賠償請求される場合もありますので、別な面でストレスが出てきそうです。