消えたお店(2)の続き:経営と実務との問題

6月15日のエントリーの続きです。

調理人が経営者でもある場合は、その器により自らがその影響を受けますので、自業自得とも言えますが、

前回のような、調理人と経営者が別な場合はそう単純でもありません。難しい問題を抱えていると思います。
一般の会社にも通じる問題です。

件のフレンチ店の場合のように、調理人が調理の腕が良いという理由で職場で力を持ち、増長していくというタイプの調理人がいます。

こうした実力調理人の下にいると、あまり仕事を覚えられないままに、5年10年と過ぎてしまう場合が多いようです。
有名な高級ホテルの調理部門では、サラダを作らせてもらうようになるまで何年もかかかる、などという話を聞きます。
東京の有名ホテルの厨房にいる息子の友人の話では、3年目になる先輩は、調理器具の洗浄・手入れと、キャベツ切りしか経験していないとのこと。(ミニトマトも扱えるそうですが)
料理長や先輩達が独立して辞めていかない限り、新しい料理を覚えるチャンスがないと言って、諦めているようだと息子は言っていました。

有名店や有名シェフのいる店ならば、いろいろなことにチャレンジでき、早くいろいろなことを覚えて独立できると思って入ってくる若い人も多いようですが、入って経験してみないとなかなか実態は理解できないようです。
看板シェフが自分の店を辞めるわけないので、余程面倒見の良い人でなければ、料理の神髄に触れることなく、ロイヤルティの高い人ほど使い捨てで終わってしまう恐れもあります。

若い人を、やる気がないからと批判するのは簡単ですが、時代が変わってしまったこともあり、一概にやる気の問題だけでは論じられません。
徒弟制度が良い場合もありますが、それは辛抱して長年勤めていれば、新しい料理を覚えられたり、より責任のある仕事を任される等、古き良き時代的な労務管理意識が生きていてのことです。
実際は売上の波によっていつでも首が切れるように多くの調理人を契約社員にして、既得権者の雇用や収入を守れるような体制を作り上げているのが現状で、そうしなければ、業界の競争に生き残っていくのは難しいという現状があります。
こうした状況で、若者に、先輩が帰った後で調理の修練を積めば良いなどと言っても、今の時代、売上にならない光熱費や材料など使わせてもらえませんし、廃棄するような材料も少なくなっているので、TVドラマの根性もののようなわけにはいきません。遅くまで残ろうとすれば、悪事に係っていると疑われて居づらくなる場合もあり、やる気を出させる下地が昔とは大分変わってしまっています。人が動ける隙間がとても狭くなっています。


いつまでたってもチャレンジできる場がないといって腐っていく若者が多いのは、調理の世界だけでなく、一般の会社でも同様のことが起きています。

ここでも、やる気、意欲等の問題として、旧世代の人達は捉えてしまいがちですが、そうすると議論は終わってしまって何の解決策も出てこなくなります。
社会構造の変化に焦点を当てて、甘い人間にもある程度目をつぶって、暖かな視点で解決策を探っていく必要がありますが、そのためには社会に余裕が必要です。実際は余裕がないから、解決ができないなどという、悪循環にいったん入ってしまうと、この負の連鎖はなかなか断ち切れないということを、ここ20年間で嫌というほどみてきているわけで、何ともしがたい現状打破の欲求が、ヒーロー願望になったり、宗教団体に平穏を求めたりという流れになったりもします。

っと話が脱線してしまいました。有力調理人の話は、また次回に。






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