マスコミの難しい立場と報道に対する責任について(4)

ちょっとしつこいですが、産経新聞を切り口にして、経営基盤と報道のあり方を考えてみます。

マスコミは、主張の論理を組み立てる前に、判断を左右する手持ちのデータを全てオープンにすべきと思いますが、そうは言っても、総て透明にしてしまった結果、スポンサーを怒らせてしまうということは避けなければなりません。(あくまでマスコミの論理ですが)

大新聞ほど、スポンサーと読者の顔色双方を見ていかなければならないという難しい事情もありますので、恣意的にならざるを得ない面もあるのでしょう。

そんな中で、産経新聞は自分の立ち位置を明確にしている新聞だと思います。

購読数確保のため、こういう意見もあります、ああいう意見もあります、と、どっちつかずの姿勢をみせて、その実は自社のしがらみや、スポンサーの意向に沿った方向に民意を誘導していこうとする新聞社とは異なるように見えます。

保守派に分類される、その社説の論調は静岡新聞と似ているところがあり、どちらも保守・良識派といったところでしょうか。
ただし、言いにくいことも主張をする新聞社ですので、敵が多く、いろいろなところで叩かれます。中国からは嫌われ排斥されたこともありました。
中国の要求を一貫して拒否したため、1967年から31年間北京から実質的に追放され、その間、国外から中国を注視していましたが、林彪の死亡推測記事を日本の新聞で最も早く伝える等、情報源に近いことが必ずしも正確な判断ができるわけでないことを示しました。しがらみにより視点が曇るということとは無縁だったのでしょう。

主張や行動原理が一貫しているところが多く、北朝鮮拉致問題を、そんな事実はありえないだろうと日本の多くの人が考えていた頃から、間違いないと確信して地道に取材を重ねて、被害者の家族達を精神的に支えてきました。

尖っているので、カチンとくるのか、政治家の中には大嫌いという人も少なくないようです。
こういう主張を明快にする新聞社は、他社よりも厳しい注文に応えていく必要があります。波を起そうとすると、自分もその波をかぶりますので、自分を一層の高みに位置させなければなりません。自らを厳しく律する必要があります。

また、自社の主張の判断材料とするデータの扱いに、恣意性を極力挟まないように留意しないと、信頼を失うことになりますので、今の時代のようにマスコミへの期待度が低くなり、ゆるい状況の中で、自分に厳しい姿勢を貫くことで、ジャーナリズムの存続を図るということが、とても難しい時代になってきているように思えます。
また、こうした姿勢を維持していくと、収益を得ることにも限界が出てくるように思います。

紙媒体離れもあり、芯の通ったマスコミの経営状況が厳しくなっていく中で、そうしたマスコミは、どういった路線で存続を図っていくのか興味のあるところです。


ところで、報道を取り巻く環境も、現在様変わりしつつあるように見えます。
情報の量が紙情報では限られるために、質の面でも別な媒体へと主役が移り変わりつつあるようです。
また、仕組みを変えていかない限り、電波は娯楽に近い方向に流れていくように感じます。

かつてはトイレの落書き並み!と酷評されていたネット情報が、信憑性は、玉石混交ではありますが、情報の質を取捨選択できる人にとっては、一番のツールになりつつあるように見えます。海外のマスコミにもすぐアクセスできますので、日本のマスコミのフイルターを通さずに情報を得ることもできます。




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