中学2年生の頃(2)

H君が喧嘩の相手に怪我をさせてしまった頃、

H君の心は、ある意味で助けを求めていたのではないかと思います。
必要だったのは、心を開いてH君と正面から向き合ってくれる大人や、自分に寄り添って見守っていてくれる大人の存在だったと思います。

H君が、大人は誰も味方をしてくれない。
自分はこっちの世界では居場所はないと思ってしまわないか、見切りをつけてしまわないかということが心配でした。
私は当時、子供心にも、H君は(実は自分もそうなのですが)大変不安定な分水嶺にいることをはっきり認識していました。

周りで誰かが受け止めてやらなければ、H君は自分の手の届かないところへ行ってしまうかもしれない、そんな不安を私は抱いていました。

まだ始まって間もない子供の人生といっても、その一部でも受け止めるのは、私達クラスメートでは知れています。
子供の生活環境は大人の決めたことでガラッと変わってしまいますし、それに、私達は自分達のことでも精一杯でしたから。

自分達にできたことといえば、こんな不自由で理不尽な世の中で、何をどうしたら良いか分らないけれど、とにかく俺達は今同じ空気を吸っているんだよな、という立ち位置の理解くらいなものでした。


H君は純粋であるがために心に弱いところがあるのだと、私は直感的に感じていました。
そして、この頃までなら、周囲の大人や先生方の対応如何で、H君は大部分の同級生達と同じような、平穏ともいえる人生を送ることになったろうにと、私は自分の心の中で今でも確信しています。(それが本人にとって幸せなことかはまた別ですし、今の世の中で、大部分の同級生達の人生も波乱万丈なものになっているかもしれませんが)

私は大分経ってから、H君のような心の純粋な子供の、性格の弱さとも言える部分は、心の種のようなもの、成長余力なのだと理解するようになりました。ここにこそ、人が成長する源泉、私達の社会が良くも悪くもなる源泉があると思います。社会や教育に、ほんのちょっとの間、育つのを見守って欲しいところなのです。


H君は彼の兄と同じ道を辿ることになります。

私が中学生の頃には、侠気で知られた親分のいた組でも、当時既に薬を扱うようになっていました。小さな田舎町では、それまでのやり方ではしのげなくなっていたのでしょう。それにつれ、昔の任侠道の影は薄くなっていたと思います。

しかし、恐らく、H君はH君と同じような、居場所が見つけられず、何をやったら良いか分らず、孤独で不器用だが、心のキレイな若い連中を、親分肌の包容力で何人も受け止めてやって、相談に乗ったり精神を鍛えてやったのではないかと思います。
彼は、いじめる側に廻るような男ではありませんでした。

私はH君の豪放で、警戒心など全くない人の良さそうな笑顔を、今でも鮮明に思い出します。




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