中学2年生の頃(4)

3年になった私とI君は共にN先生のクラスでした。
H君は別なクラスになりました。H君のクラスの担任は体の大きな体育の先生です。

私の通った中学校は、従前、一時期暴力学校として、クラスによっては授業が成り立たなかった時期がありました。

問題学校だったのはH君の兄が通っていた前後の頃ですが、H君の兄以外にも、猛者は何人もいたそうです。
その対策でもあったのでしょうが、かつて生徒の暴力行為で知られていた市内の別な学校から、体育の教師などを赴任させたりして封じ込めの布陣を敷いたようでした。私が通っていた頃も、体育の教師は黒帯だったり、屈強で非常に厳しい先生達でした。

しかし、私達が中学2年生の時、私達の発したSOSに先生達は応えてくれませんでした。大したレベルのことではなかったかもしれませんが、先生達の多くに、関わりたくないといった態度は見て取れました。
(数学の教師だった担任のN先生は冷たく突き放しはしましたが、何かあれば見て見ぬ振りはしませんでした。この人は生徒達を見ているなと思いました)


私達が3年になると、ある時期から先生達の態度が変わるのが分りました。

卒業を意識するようになった生徒達の感情が、苛立つことが多くなるからということもあるでしょうが、私達に腫れ物に触るような接し方をする先生が多くなったのです。
これまでは勉強のできる女子生徒にしか話しかけることのなかった教師が、まるで機嫌を取るように私にも話しかけるようになりました。

担任のN先生からは、お前達は3年にやられたが、3年になったお前達は2年へのお礼参りは止めろ。そんなことをするやつは許さないぞ、ときつい口調で言われました。

私達が悩んでいた時には、年中行事程度と真剣に考えてくれなかったくせに、何と都合のよいことをとは思いましたが、私達のクラスも、内部での小競り合いはしょっちゅうあり、それなりに荒っぽかったのですが、下級生を制裁するような生徒はいなかったと思います。
それはN先生の教え方が、生徒達一人ひとりに自分の頭で物を考えさせようとしていたことと関係があるように思います。

2年生になったばかりの頃のホームルームの時に、見ず知らずの人が暴行されているのを見たら、どういう行動を取るかといったテーマで、一人ひとり自分が取るであろう行動と、意見を述べさせたりして、自分と向き合う時間を作ってくれたことがありました。

自分が勝てそうだったらやっつける。
後ろから蹴りを入れてやる。
級友の中には勇ましい発言をする者もいました。

自分の順番が来て、私は、見て見ぬ振りをするかもしれないと答えました。
先生のその時の失望したような表情の記憶が、私の頭の中にはずっと残っています。

先生の表情を見て、自分がそんな言い方しかできないのを哀しく思いました。
その時の自分の率直な気持ちは、『もしかしたら見て見ぬ振りをするかもしれないので、エラそうなことは言えないな』というものです。
私は、いまだにその時の発言を後悔して引き摺っているのですが、今でもそれ以上のことは言えないような気がします。

それ以外にも私はN先生を何度も失望させました。

私のように後ろ向きな意見を述べた生徒に対して、先生は何も批判めいたことは言いませんでした。
先生は、できることは、それぞれ違うけれども、例えば警官を呼んできたり、大人に助けを求めたりとか、やらなければならないと思うことの内、皆にもできることがある筈だ、といったことを話してくれたように思います。

I君と共に野球部の2本柱だったOは、小学生の頃からワルでやんちゃなイジメッコタイプでしたが、この時、「そんな奴は俺がやっつけてやるよ」、などと正義感たっぷりの発言をしていました。

良識のある生徒にはその良識に訴えかけ、判断力に不安のある生徒も、うまく載せて、方向付けしたコーチングを先生はしていたのです。

ワルといっても、田舎のまだ智恵もない、ある意味純朴なワルガキ相手でしたので、御しやすいところもあったでしょうが、都会的な秀才タイプで、屈強さとはほど遠いN先生は、私達にしっかりと向き合っていました。




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