中学2年生の頃(5)

大津市のいじめにより自殺した中学2年生と同じ年頃に、自分はどんな感じ方をしていたろうか、

親に対してどんな距離感を取っていただろうか。

先生はどんな接し方をしてくれたのだろうか。

当時の先生達の生徒への接し方のパターンはどんなだったろうか。

友人の取る姿勢は、どんなパターンに類型化できただろうか。

パワーバランスは、どういう条件が揃うと崩れ、どういう条件で変化したろうか。


当時中学2年生だった私達よりも、今の中学2年生は、知識量ははるかに多いでしょうし、社会に対する意識も比較にならない位深いと思います。
しかし、人間の持つ強さや弱さ、感じ方等は、そんなに大きく変わらないのではないかと思います。


当時の自分達の行動、感じ方を思い返してみると、大津事件の何が問題かが見えてくる気がします。



お前達は3年にやられたが、3年になったお前達は2年へのお礼参りは止めろ。そんなことをするやつは許さないぞ。
N先生の虫のいい発言に、当時の私は呆れ、憤りを感じました。
お前達はやられても、お前達はやるな。お前達でその慣習を止めろ、ということです。

当時は、全く都合のよいと思った、この先生の言葉ですが、
私は後になって、人間性を判断する上で大切な指標だと思い至りました。

私は過去を振り返ることがあまりありませんが、過去に出会った気になる人の行動を、再度この基準に照らし合わせることがあります。そうすると、それほど強い印象でもない人が、輝いた存在として浮かび上がってくる時があります。



3年生になって、私達の機嫌取り発言をする教師も出てきました。しかし、心を開いている訳でなく口先だけなのはすぐ判ります。
チョッカイだしてきた同級生をうるさく思い、授業中に投げ飛ばした時も注意もされませんでした。

こういう教師の変化を感じ取り、先生に対して増長する生徒も出てきました。私もそうだったのでしょう。

私はH君同様、元々教師から好かれるタイプではありませんでした。
教師が私達に遠慮するようになるにつれ、私達が増長していった結果、生意気さが鼻についていたのかもしれません。お前の内申書の点数はどうにでもできるんだぞと、脅しをかけてくる教師もいました。

先生が腫れものに触るように、生徒に心を開こうとしない。
生徒の荒っぽい行動が増して、先生の言うことを聞かない。
悪循環です。
どちらが先かわかりません。

しかし、仮に生徒が増長するのが先だったとしても、教師は、それを断ち切らなければならないと思います。

私は級友達に自から暴力をふるうことはありませんでしたが、教師には反抗的でした。
こんなので良いのかと、私自身、教師に反抗的な態度を取りながら、教師達の煮え切らない態度に苛立ちを覚えていました。
教師達の逃げ腰で、正面から向き合おうとしない姿勢は、結局自分達に関わりになるのは損だ位の気持ちしか持っていないからで、大津市の件の中学校や市の教育委員会とも通ずるものがあります。(自分の態度を棚上げしていますが)


H君は何年も前から、この苛立ち、孤独感、疎外感、絶望感を味わってきたのでしょう。H君もチョッカイ出されればやり返しますが、自分から進んで暴力をふるうタイプではありませんでした。

しかし、H君はワルと見られていました。
しかも、H君にピリピリと過剰反応をしていた教師からすれば、札付きのワルだったのでしょう。
H君を別格と捉えていたのは、教師の言動から判りました。
しかし、それは固定観念で自分をガードしながら、H君に接していたからだと私には思えます。

大津事件の加害者の3人の行状を見ると、H君とは全く異なります。


結局通常の社会が彼を受け止めてくれず、彼に合う居場所がとうとう見つけられなかったH君は、どこに行っても居場所がないと思ったのでしょう。私達とは違う世界に入っていきました。







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