いじめ

オリンピックで活気に満ちている時期に、こんな話題もどうかと思いますが、
子供のいじめや自殺、また幼児・児童虐待等の事件が、全国で連日のように報道されています。

しかし、それらの報道された事件をその後追いかけて、事件の経過がどうだったとか、結果がどうなった等の、報道がなされる事件は、ごく一握りのように思えます。

毎回、毎回、現象面のごく一部が報道され、その結果どんな悲劇が起きたかの報道が小さく紙面に載ります。
データベースとしたら、ここ数年でもいじめによる事件の記録は、数多くのものがあると思います。

学校関係者や教育関係者、政府担当者は、こうしたデータベースを調査して、いじめによる悲劇をどうやって防いでいったら良いかという基礎的な議論・研究等を当然行っているとは思いますが、
事件が起こるたびに関係者の間からも、初歩的な、極めて素朴なコメントしか出てこないのは、現状の教育を取り巻く制度・社会に欠陥があるために、基本的な対応をしようという、人間であれば当然の欲求の発露が抑制されているものとしか思えません。

遅々として進んでいかないことに、フラストレーションを感じる人は数多いと思います。

こうした問題に対処するには、職人技ともいうべき技倆も必要ですが、今の日本の教育は知識に偏重しており、アメリカなどでは初等教育から力を入れている論理学的な思考を育む教育を行っている学校も、まだまだ少ないため、

知識をいくら集めたところで解決できないことは山ほどあるという、ごく当たり前なことに思い至っていないかのように推測できることに日常的に遭遇することが多く、
それがまた、この国にフラストレーションを感じることにもなります。

また、こうした教育内容の欠陥が、議論がいっこうに進まないという事態も招いています。
当然ですよね、議論を建設的に進めていくには、どんな技倆が必要で、どうして身に付けていったら良いかということを、学校でも社会でも、結果家庭でも教えてやれなければ、その必要性に思い至る場面は国外とのカルチャーショックを感じるまで、真剣に考える機会は極めて少なくなるでしょう。


私達は、またいじめかと思って事件を見ても、深い情報に目に触れる機会もないので、毎回毎回、上っ面だけをなぞっているようなところがあります。

そんななか、当事者や警察、マスコミ関係者以外にも、ある程度というか、他の事件とは比較にならない情報が伝えられているのが、大津市の、いじめによる中学2年生の自殺事件です。

これは、フジテレビの報道から、個人情報がネットに流れたためですが、ネットと情報の扱いの議論はさておき、

そのおかげで、私達は最近のいじめの実態、当事者の「実像」、家族の実態、教育関係者の意識レベル、警察の問題等々、数々のことを知るきっかけになりました。

この事件、知れば知るほど胸が痛くなります。

多分、小さな報道の陰に、次々と埋もれていく他のいじめによる事件も、同様の胸の悪くなるようなことがおびただしくあるのだろうと思います。







'