いじめとホームスクーリング等の制度設計について(2)

こうした新しい制度や何か新しいことをやろうとすると、会社でも役所でも、とにかく、やたらと批判だけするという人がいますが、新たに発生する問題に対しては、その問題を抑制する方法を考えていけば良い訳で、後ろ向きな人の発言を聞いてばかりいたら、何も進まなくなります。

しかし、今の世の中、自分が悪者になりたくないために、泥を被るのを恐れる、経営者や官僚、政治家が多く、
後ろ向きな発言を抑えられずに、全体のバランスを取ることばかりに汲々とするあまり、やる気があり、体を張って努力をしようとしている人の意欲を失わせている場合が多いのです。

その結果、言われたことしかやらなかったり、気に入られるであろうことを先取りすることに汲々としたり、毒にも薬にもならない、どうでもよさそうなことに拘泥したり、面従腹背の社員ばかりが残ったり、といった組織になる場合があります。

経営者にとって、このような社員に囲まれるのは、ある意味気持ちが良いことでしょうから、こうした組織は増えることはあっても、なかなかなくならないようです。


コンサルの中には、経営者に対して、社員同士を牽制しあうことで、社員を競わせ切磋琢磨させて、会社の実績を上げさせるということを指導するところもあります。
こうしたコンサルにより、経営者は、極力各社員と等間隔で距離を取ったり、やる気に満ちている社員と必要以上に距離を保つことで、他の社員に対しての競争意識を煽り、より、やる気を出させ、また業績向上と、会社へのロイヤリテイーを保たせようとします。

しかし、これは次から次へと人材が入ってくるエクセレントカンパニーでの人の使い方です。
こうした指導を行うコンサルも、元は大企業の一社員だった場合が多く、こうした志向の強い人が多いように思えます。
中小企業などでは、こうした手法で対処しようとすると、逆に気持ちがあり、能力ある社員が会社に見切りをつける場合がでてくるため、うっかりとは乗れないリスクのある指導だと思います。

成熟した組織で、力をさほど延ばす必要がないと考えている組織ならば良いのですが、多くの中小企業では、能力ある社員が次々と入ってきてくれないため、難しい選択になるでしょう。

やはり、泥をかぶりたくない政治家は、政策が民意に合致しているかどうかを、政敵に反駁する材料としたりします。
しかし、政策を通して当選した政治家が、小さなことでも、都度民意にこだわるのは、自分を安全地帯に身を置こうとするからで、そんな姿勢からは国民のために何かを成し遂げようとする意志や、良識や胆識のかけらさえも感じられません。

さて、話が組織論や議論の流儀へと流れてしまいましたが、

新しい取り組みに対しての議論の最大の目的は、自殺まで考える程追いつめられた子供達を何とか救う手立てを考えなければならないという動機の上に拠って立っています。
議論していると、その目的は何処かへ行ってしまい、その手立てを行うことで新たに派生する問題をあげつらい、その結果、目的までつぶしてしまう場合が多いのです。










'