意識できない被占領者意識(2)

領海侵犯して尖閣諸島魚釣島に不法上陸した香港の団体7名他計14名を、沖縄県警と海上保安本部が現行犯逮捕しました。
14人の中には、香港の報道関係者や本国の人達もいるようです。


不法上陸させたことについて、海上保安庁は、「双方にけが人が出るような強硬手段を用いないという政府全体の対応方針に従った」と説明しているそうで、海保の意向ではなく政府の思惑・方針に基づいた行動を取ったということでしょう。

上記理由で不法上陸させたというコメントを聞いて、政府の能力にいささか不安を感じました。


沖縄県警約30人の警察官が、あらかじめ上陸して逮捕に備えていたそうです。

双方にけが人が出ないよう配慮した結果とのことですが、

言葉の背後には発言者の意向が籠もっています。それは、そのまま発言者の思考水準を示しています。
この発言を裏付ける心理と思考は、優柔不断で何も決められない政府の現状を良く示しているように思います。


上陸した相手が、漁民や一般人に偽装した海兵隊員だったら、日本政府は海上保安庁や警察官の生命を大変な危機に曝したことになります。
今回の上陸劇は、日本がどう出てくるかのテスティングのような意味合いがあると思います。
今回の上陸劇は、次につながってくることでしょう。
今回の日本政府の対応や行動原理、日本国内世論、今回の事件に関する日本へのアメリカの温度等を考慮して、次の戦略を当然組んでくるでしょう。


8月16日に記しましたが、警察官は、平和的な治安の維持、取り締まりが主な仕事です。
他方、海兵隊等軍人は最小の被害で最大のダメージを相手に与えることを考えています。殺戮を旨とした相手に、警察官では太刀打ちができません。
日本政府には、自国民の生命を守るという認識と、命に対する想像力が欠けているところがあるように思います。

日本政府の、双方にけが人が出るような強硬手段を用いないなどという意向は、まるで子供の喧嘩の仲裁のような、さながら他人事のような甘い認識に映ります。

自国民の、自国の領土への被害を最小にするにはどうしたら良いかという観点で、上陸を阻止して、水際で食い止めるための施策をとるべきだと思います。上陸した相手が軍の訓練を受けており確固たる目的意識を持っているなら、警察官や民間人では何のなすすべもないでしょう。

海外で騒乱に巻き込まれたら、日本大使館や領事館ではなく、アメリカ大使館へ逃げ込めなどと言われますが、いろいろな事例を聞くと、現実的にそうだろうなと納得してしまいます。哀しい話ですが。

日本政府は、南シナ海ベトナムが命がけで国を守ろうとしている現実をどう感じているのでしょう。

南シナ海ベトナムを叩いた後には、尖閣に本腰を上げて乗り込んでくるのは目に見えています。海上資源は大変魅力的ですから。
その際に、現状のように実効支配せずに、警察力に頼るような態度は、まるで、尖閣諸島は日本政府は実効支配しませんから、武力で占領できますよと言っているようなもの。
毅然とした態度をみせることなく、政治的な逃げの姿勢を相手に見せ、困ったところでアメリカ頼みになるのでしょうか。まるで被占領者の意識のように見えます。

Heaven helps those who help themselves

アメリカの精神に照らしたら、日本政府の意識は甘えと映ることでしょう。
(国際的に卑怯者とのレッテルが貼られなければよいですが)
また、政府の認識は、多くの日本人の理解の範疇外になりつつあるのではないかと思います。


今回自分が日本政府の対応で危うく思ったのは、

海保や警察官の生命を何も考えていないのではないかという点と、

自分の取ろうとしている行動のリスク管理をしていないのではないか、
やっているつもりなら、一面的で非常に浅薄なものではないだろうかということ。
政府を支えるスタッフ能力の不足か、その能力を使いこなせていないということが大きいように思います。

仮に警察官が怪我をしたり、生命を落とすようなことがあった場合、国民やマスコミは政府を責めたてることでしょう。

その際中国の顔色を窺う日本政府は、国内世論との間で何もできずに立ち往生。
海上保安庁の巡視船への中国漁船衝突事件の時のように、結論を出せずに、中国には言いたいことは言えないので、国民を何とか誤魔化して騙し続けようとする。
日本人は持続力がなく忘れっぽいので、そのうちどうでも良くなるだろうという、自国民を見くびった対応。

時間稼ぎして解決しないで、ほとぼりが冷めるのを待って、問題先送りをする。


日本政府の日本の警察官をはじめとする国民の生命に対しての思いは、かくも軽いものなのだろうと思います。
表面上の優しさ(甘さ)が生命の危険を招くということは、特に国際的な場でのコミュニケーションが不得手と思える日本は、気をつけなければならないことと思います。

問題を解決しようという意志があれば、その前段階の行動、その行動を端的に示すことになる言葉・発言も違ってくる筈です。








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