思考訓練と思考停止


中国・台湾、韓国、はたまたロシアとの領土の問題が一気に噴出したかの感があります。
政治家、官僚のこれまでの不作為のつけが出てきたようなものですが、そうした過去に目をつぶり現政府のみをひたすら批判するような風潮も、ずいぶん無責任なことと思います。


今のように公然と敵対発言や行動をする人や国がいる際に、それを受けてどういう姿勢を取り、どういう発言をするかで、その人となりや人間性が窺えます。

世間に多く目にするパターンは、争いを避ける平和主義者然として、敵対するのを避けようとする人達です。
自らにストレスを抱えこむことなく、こちらが敵対しなければ、相手も敵対しないだろうという、思考の結果から出てきたというには恥ずかしいレベルの、おおよそ淡い希望と言っても良いような感覚的な根拠に基づいています。

こういうスタンスの人は激しい批判にさらされることはありません。
人道主義者と見られる場合も多く、大概は好感度をもたれる場合がこれまで多かったと思います。
本来、こういう主張は、わざわざ大きな声で意見を言う程のものではありませんが、反対する人が少ないため、安心して、より大声でアピールをしようとする人が多いのです。

(こうした思考の人は、例えば、物事を司法の目に晒して、客観的な判断を行うという志向が弱いように思います。どうも、大津事件で加害者やその家族のプライバシーをネットの上で必要以上に晒したり、関係者に私的リンチを加えようとする志向の裏返しのように思えるのです。立場が弱くなった相手、立場が強くても物を言いやすい相手を、とことん潰しにかかるという傾向を持っているのではないでしょうか)


マスコミの多くも、これまでは、敵対意識を持つ相手に対して刺激を与えることが罪とでもいうような姿勢でした。
領土問題や靖国参拝の問題等に関して、そうした姿勢は顕著でした。
そのため、自民党の保守派と言われる政治家や、石原都知事のように明快に物を言う人に対して、手厳しい報道姿勢を取り、その行動を糾弾するという行動パターンを取ってきたように思います。

特に石原都知事は文学者でもあるため、多くの政治家のような、言質を取られないように当たり障りのない発言をするのを毛嫌いしているところがあるように思えます。つまり、マスコミからすれば揚げ足を取りやすい格好の標的になります。その一挙手一投足に対して、いくつかのキー局は難癖をつけているようにしか見えない、報道姿勢を取っていたように見えました。

しかし、そうしたマスコミの論調が、最近は若干変わってきたように思います。
保守本流の政治家や石原都知事はぶれておらず変わっていないのに、
恐らく、国民のトーンが以前とは大分変わってきたために、国民の意識の変化に合わせて、マスコミも軸足を移していかないとヤバイと感じ出したからではないでしょうか。

周囲に分からないように、報道のスタンスを変えてきているように思えます。

信念による報道姿勢よりも視聴率的発想で、民意に風見鶏のように向いていく習癖のためによる変化に思います。
民意に寄り添うジャーナリズムの姿勢と言うのも価値のある場合もありますが、オピニオンリーダーの役割を果たすべき時に風見鶏では、その存在価値を自ら減殺することになるでしょう。






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