思考訓練と思考停止(2)

敵対意識を持つ相手に対して刺激を与えることがまるで罪なことでもあるかのように、
敵対行為を取ろうとする相手に対して、相手を刺激することを避けるため、話題にするのを避けたり、相手の問題行動を不問に付したりする傾向が、これまで顕著にみられました。

これは、日本人の美徳と考えられる、他人への配慮や礼節を重んじる儒家思想の影響で、他人へ配慮することが、それ以上深く考えることまで抑制してしまうという面もあるのかもしれませんが、むしろ庶民の精神は自由闊達なところがありながら、中央集権国家が出来上がると、その為政者達が、国民に深く考えることや、考えるための材料を知らせまいとしてきたことが、いろいろな場面で思考停止による弊害を招いているように思います。

物を考えることは苦痛を伴う場合が多いですが、オピニオンリーダーであるべきマスコミや、多くの批評家や、プロの政治家までが思考停止の状態に逃げてしまうのに隔靴掻痒の感がします。

例え、こちらが思考停止になっても、相手は脳に汗をかき、思考と論理で押してきます。例えそれが、牽強付会と思える論理であってもです。

その論理に対して、極力相手を刺激しないように話題に触れないでおこうという態度では、相手は、こちらが問題解決をしようとする意志がないと思うでしょう。
また、反論をしなかったり、例え、解決済みだなどという、敵対する相手にとっては反論とも思えない主張を言葉少なく伝えたのでは、敵対行動を取ってくる相手の意向をこちらが認めたものと思うでしょう。
こちらに反論できる材料がないために、反論できないのだと思うのが、普通の感覚ではないでしょうか。

事あるごとに蒸し返して、この積み重ねを行って、例えば20年が過ぎたとすれば、向うの国民は、向うの政府が言っていることを真実だと思い込むでしょう。
10歳の少年が、多感な教育期間を終え、30歳になるまでずっと同じことを繰り返し聞いていれば、自分の受けた教育を疑うことは少ないと思います。

仮に政府が国民を欺いても、内政の問題でしたら現実生活を営む中で、政府の主張の矛盾点に気付く場合が多いでしょうが、対日外交では普通の生活者が事実を確認できる機会は限られてきます。
自国の主張に反論しようともしない日本に、まさか理があるとは思いもよらない筈です。政府の刷り込みが見事に成功していきます。

実際は20年どころではありません。尖閣諸島では40年がゆうに過ぎているのです。10歳の少年は、50歳になっています。今更、全く正反対の考え(非常識な考えと映ることでしょう)を受け入れる余地などないでしょう。
物事を判断できる世論の大部分は、非は日本にあると考えるでしょう。

今頃になって、日本の反論する声が大きくなれば、今までこちらの言うことを黙って認めていたくせに、何を今更と反発するでしょう。困ったことではありますが、反日運動が大きくなるのも当然の流れに思えます。

向うの国は小さい頃から身についた考え・常識に従って行動しているのです。
世界標準のコミュニケーションで、ギャップの原因を作ってしまったのは日本の方だと思います。
正義か否かではありません。日本の方がプロセスを踏んでいないのです。

もちろん、向うは国民に本当のことは知らせません。政府の都合のよいように、国民を教育しています。
しかし、それはどこの国でも多かれ少なかれやっていることです。それを前提にして、こちらの主張をしていかなければ、コミュニケーションは成り立ちません。




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