思考訓練と思考停止(8)

暗い話題ばかりで、書いていて気が滅入ってきました。
本題を早く終わらせて、次のテーマに行きたいと思います。


中国の尖閣諸島領有の根拠は、
尖閣諸島は「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」というものです。
明の時代より尖閣諸島は台湾の一部であり、台湾は中国であるので、尖閣諸島も中国のものだというのが根拠です。

1920年には尖閣諸島を日本領と認めていながら、現在は中国領だと言い張っていますが、これは、
1968年(昭和43年)に尖閣諸島付近での海底調査で石油や天然ガスなどの大量地下資源埋蔵の可能性が確認されたために、1971年以降領有権を主張し始めたものと思われます。

行動原理が単純ですね。この政府が次に何を行うかは、南シナ海を注視していれば想像がつきます。しかし、もっと単純というか、情けないのが我が国なのですからね、、、

南シナ海と言えば、ベトナムの他にフィリピンとももめています。

中国は、1991年にフィリピンのルソン島から米クラーク空軍基地スービック海軍基地などが撤退した直後から、南シナ海南沙諸島を次々と実効支配していきます。
漁民に化けた軍人を送り込んで既成事実を積み重ねてから、最後は軍事的に制圧しています。
何せ、南シナ海は海底資源の宝庫ですから。

南シナ海を注視している方々は、今回の尖閣諸島上陸に危機感を感じたと思います。
私も、上陸させたら相手が職業軍人であれば、警察官や海保では手がつけられないだろうと不安に思いました。
今回は、テスティングだったようで、ホッとしましたが。

自前で国が守れるなら良いのですが、そんな気概もないのに、アメリカを沖縄から追い出したら、我が物顔で中国は東シナ海に出てきて領土を広げていくことでしょう。
その前に、内部分裂するかもしれませんが、そうなったらなったで、日本にも飛び火してくるでしょうから、どちらにしても厄介な存在です。


さて、尖閣諸島の領有に関して、上述の経過を指摘されれば、日本人であれば領有権を主張するどころか、顔を赤らめて引き下がると思うのですが、さすが、ウイグルチベットで想像もできないようなことを行っている国です。
腹が据わっています。

しかし、こちらはあくまで冷静に、中国の主張している事実は、はたして正確なのだろうかと、究明していく姿勢が先ず行うべきことと考えます。

中国の主張を考慮すれば、明の時代に、中国が尖閣諸島をどう認識していたかということが重要になります。


さて、ちょっと前の報道ですが、長崎純心大学の石井望准教授(漢文学)の調査で、明の時代に尖閣諸島への中国の認識がどうだったかということが判明したとプレスされていました。


尖閣諸島沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、分かったというものです。

この上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』という書物だそうです。
このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記してあるそうです。
現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいます。

石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘しています。

石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かったとのこと。

馬祖島は、中国本土のすぐ鼻先でありながら、国民党の要塞のような存在の台湾領でしたが、現在は観光地として整備されているようで、時々海外旅行の資料で目にします。
軍事ラインがさながらテーマパークのようになっているらしいですが、思ったよりも国民党に共産党は抑えられていたのだなと思います。また、陸地に上陸させないことが、いかに重要かということが分かります。


その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことが、すでに下條正男拓殖大教授の調べで明らかになっているそうです。

上述の、石井准教授や下條正男拓殖大教授等の調査から、中国の領土に対する当時の観念が、なんとなくつかめてくる気がします。
中国大陸から、それほど遠くない場所に、自分達が簡単に越えられない壁を作って、それを国境と意識していたということですね。


中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていたわけです。
この理由は、後付けだと言うのがわかります。

石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘しています。


こうした、地道な史実を究明し、お互いの論拠に突き合わせていくという過程を踏むことが、極めて初歩的なことで重要なことだと思います。
しかし、日本の政治家やマスコミが煽るのは、配慮、配慮、思考停止!
反論しようとする人に対して、お前は戦争をする気か!などと、何とも幼稚な発想で非難します。

この国には、物を考えようとしないでレッテル付けすることで安心して思考停止するという、ヒステリックな嫌な風潮があります。
この種の問題を冷静に批判しようとする人に対しては、軍国主義者だとか、右翼だとか、あまりありがたくない称号というか商号のようなものを貼り付けてくれるのです。
マスコミの言論に、事実を究明するのが、まるで悪であるかのような言葉のニュアンスを感じる場合が、日常でとても多いのです。
子供は大人の会話のニュアンスにとても敏感です。こういう風潮が、例えば、教育の場でも起きているならば(昔は間違いなく起きていました。私が小学校時代から教師に反感を持つようになった原因の一つでもありました)、子供の伸びる能力、可能性を抑えることになり、国の大きな損失になるような気がします。


さて、領有の根拠が否定されたのに、それでも尚、相手が激高するとしたら、自分の利益を確保すべき根拠がなくなったために激高している訳です。世界の視点、世界基準での正義の判断を超えて、尚も力で領土の獲得を図ろうとするのが、南シナ海やアジアの隣接国との領土問題を見れば分かります。

こちらとすれば、冷静な姿勢で、理路整然と、史実や客観的事実に基づいた説明を基にした、こちらの主張を繰り返していくことが必要です。
それでも、相手は感情的になり、威圧してきたり、報復策を講じたりするでしょう。が、こうした過程を積み重ねることで、相手の取る姿勢・行動・考え方を、友好国や先進国の目に晒す機会を作ることが重要です。
常識が通用しない国という認識が生まれ、それは国際世論を私達がバックにつけることになるでしょう。





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