視点が変わるとき(2)

登山隊の残していく大量のゴミ、酸素ボンベ、ボルトなどが後年になってずいぶん批判されるようになりました。
日本でも登山者の多い山では、例えば富士山のゴミや排泄物の処理等は切実な問題になっています。

今では、アルプスやヒマラヤにおいても、同様の問題が出ています。


メスナーが8,000m峰に挑戦しだした頃は、8,000mは神々の領域などと言われており、入れる人はごく限られました。
入山者は少ないのにヒマラヤの自然は広大で、人間の存在など米粒ほどのものと思いますが、このメスナーの登攀スタイルは、人間がそう入り込まない自然であっても、人間の持ち込むものによって、自然が破壊されるという事実を、考えさせるきっかけになりました。


メスナーはボルトを使用せずに難易度の高い岸壁を登攀してきましたが、日本の谷川岳などでも、ボルトやハーケンを抜かずに置き去りにするクライマーのモラルの問題や、他人が使用したボルト等を使うことで岩壁登攀の難易度が下がってしまうという問題も生じていました。


大規模遠征隊を統率できるクライマーはヒエラルキーの頂点にいるため、発言力も大きいものがあります。新しい手法には違和感を感じる人もいる中、メスナーのような個の飛びぬけた天才の手法に感化される人達も出てきます。

無酸素、アルパインスタイル、単独登攀というスタイルを受け継ぐクライマー達が次々と現れ、現在に至っています。

日本の猛者集団、山学同志会も無酸素登頂を目指すようになりました。
小西政継氏の著書のなかには、メスナーと似た思想が見えます。

ただし、ジャヌー北壁を小西氏率いる山学同志会隊16名が、無酸素、全員登頂をするという偉業をやってのけましたが、固定ロープを頂上まで張り巡らして、ユマールで全員登頂を図ったというのは、小西氏の山への向き合い方としてどうなのだろうと思います。

この時のことを本人の著書には、・・・個人的な一つの義務と大きな荒仕事をやっと終わらせた安堵感があるのみだった。激闘の末、この白く鋭い頂点にすっくと立ち上がり、こみあげる感動の波に酔い、からだを抱きあって歓喜した男たちがうらやましかった・・・・、とあります。
恐怖の峰と呼ばれていたジャヌー北壁へ、隊員を全員登頂させたときの感想がこれです。世界の登山家が畏敬の念をもつ快挙であるのにです。

前述の小西氏の文章から、小西氏程の超人でも、決して自分流を通せずに、組織人として行動せざるを得ない事情が垣間見られるように思います。

パートナーとザイルを組んでいたクライマーでも、能力が高く孤高の精神が強いクライマーであれば、単独登攀を目指したくなるのではないだろうかと思います。そういう類のクライマーもいます。森田勝氏、馬場口隆一氏、長谷川恒夫氏などはそうではないかと思います。

先鋭的なクライマーは時にストイックで偏狭で排他的な嫌いがありますが、小西氏は、実績も能力もずば抜けていますが、自分流に徹することができなかったのだろうと思います。個人を貫くか、組織行動をまとめるのかという会社組織での生き方の問題に通じるようで、興味があります。マネージメント能力があるために、専門職にとどまらせてもらえないという難しい問題です。

話が散漫になってしまいましたが、輝かしい実績を残した小西政継氏はマナスルから戻りませんでした。
極地法の登山スタイルに疑問をもって単独行を愛した植村直巳氏はマッキンリーから戻りませんでした。

メスナーの偉業の一つは、数々の業績だけでなく、彼が遭難せずに、現在も情報発信していることでもあると思います。



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