若くない人はどうでしょう

若い人達にとって、今の社会をどう生き抜いていったら良いかというテーマは、とても難しいことに思えます。身の回りには手本とする人・物が見当たりにくく、というよりは、情報が多すぎて、その中から何を選び、具体化するためにどう噛み砕いたら良いかというところまで行き着くのも大変だろうなと思います。

私などでしたら、その前に嫌になってしまうだろうと思います。
ネットで何か調べようとすると、膨大な情報の量にどんどん吸い込まれ、情報の渦の中に入り込み、当初調べていたものとは全く違うことに関心が移っているなどということがあります。情報が多いというのも、適応できないオヤジにとっては大変です。

自分が若い頃はどうかと考えてみますと、今よりも選択肢はずっと狭く、特に田舎の子供にとっては、具体的な見本となるような先人の姿というのは見当たりません。ごく少ないモデルを見て、自分には合わないなと思うと、後は参考にできる材料はありません。
ネットもない時代、地方では書物も情報も限られていましたので、たまたま偶然に出会った本が、自分のその後を決定づけるなどということもでてきます。情報が少ないだけに得られた情報を過度に重要視してしまうなどという問題も出てきます。


さて、
今月6日の午後に、東京・八王子市の都営団地の一室で、60代の女性と40代の男女2人の親子とみられる3人が死亡しているのが見つかったという事件がありました。
部屋からは燃え尽きた状態の練炭が見つかったそうです。
自殺の手引書などの普及もあって、自殺→練炭  という選択肢が、ポピュラーになってしまっているようです。

警察も心中を図ったとみているようで、動機などを調べているそうです。
3人が和室の部屋で倒れているのを、民生委員の男性が見つけたそうで、普段民生委員のお世話になっていた方なのでしょう。

社会面の片隅の事件は、その後特別なテーマの元にでもすくい上げられないと、再び目にする機会がない場合が多く、このケースに、どんな背景・経過があったのかを把握する機会はないかもしれません。
今の社会が生きにくいのは、若い人達だけではありませんね。

社会面で記憶に残っている心中の類の事件を考えても、

老老介護の疲れからの心中、

・障害を持った子供さんの行く末を考えての心中、

生活保護費の減額による生活苦からの心中、

・昔は相思相愛の男女の心中というのがポピュラーに思いますが、現在では好きな相手を執拗に追いかけたあげく、相手を殺して自分も自殺するなどという(ストーカーによる無理心中のようなもの)事件もありました。

・自分の将来に絶望して、全く関係のない他人を殺して自殺(したりしなかったり)の、迷惑極まりないものも何件かありました。

自殺系サイトで知り合った人達の集団自殺(ネット心中などというようです)

新興宗教の信者による集団自殺(教祖様との心中?、信仰との心中?)


合意の上での心中でしたら、まだ致し方ないな・・・と心のどこかに納めることができるのですが、、

近所に住むAさんは、町内の催しに声をかけるとご夫婦で参加してくれたりと、いろいろなことに前向きで、とても協力してくれました。
3人の男の子も仲が良く、とても良い家庭に思いました。

ある日奥様が帰宅すると、部屋で御主人が首を吊っていました。
その後私の耳に入る情報など、ごく一部ですが、その情報だけでも大変な思いをされていることが推測できました。

現在3人の男の子は元気に仕事をしています。今風の若者です。

あの時心中でなくて、本当に良かったと思います。