恐るべし底力

先月の産経新聞に面白い記事がありました。

『米環境保護団体の「天然資源保護協会」が先日発表した報告書によると、米国人が残飯などとして廃棄する食べ物は、年間1650億ドル(約13兆1千億円)に上る』そうです。

すごい数字ですね。
この13兆1千億円という数字、大企業の売上高と比較するとどんなものでしょうか。
ちょっと調べてみたら、

(2011年)小売業界の売り上げを見てみますと、
小売業トップのイオンが5.2兆円
2位のセブン&アイ・ホールディングス の売上が4.7兆円、
3位のヤマダ電機 1.8兆円、


ところで13兆1千億円の30%が仮に付加価値と仮定しますと、3兆9300億円です。

国防費と比較してみますと、
ドイツ(2003年) 3兆2265億円
イタリア(2005年) 2兆5650億円
インド(2005年度) 2兆3980億円


関連する企業が倒産しない程度に、ちょっと食糧統制を行うだけで、先進国の国防費以上が浮いてくるわけです。
国民が飢えることなく、無駄を省くだけで。

この13兆1千億という金額は、何でも『1970年代の1・5倍』にもなるそうです。

『自宅での食事や外食に加え、流通過程も合わせて食べ物の約4割が廃棄されているというから、米国の飽食ぶりをうかがわせる数字だ』と記事にありました。

4割が廃棄!途方もない数字ですが、日本ではどうなのでしょうか。アメリカのことを批判できない位だったら大変です。

13兆1千億円自体が業態ごとに加算されていく積もり積もった売上で、乗数効果の効いた金額、経済規模を増した結果の金額と思いますが、ある意味ではアメリカの底力といっても良いでしょう。

しかし、これは無駄ではない経済政策と言えるのでしょうか、また、豊かさの方向を向いているのでしょうか、それとも破滅に向かっているのでしょうか。


どうも、同じような矛盾は、いろいろなところで目にしているように思いますが、あまり深く考えないので見えていない、否、見えない振りをしているだけのような気もします。

人間が幸せになるために、経済と文明との整合性を図ろうとすると、全く別な次元の尺度が必要に思います。それは宗教でもないように思えるのですが、そもそも、そう考えること自体が寛容性を排したドグマなのかもしれないとも感じます。





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