不作為の歴史はいつ頃から(2)

昨日と関連しますが、

真珠湾上空から、全軍突撃の指示が出されたのが、
ハワイ現地時間で午前7時53分。同55分に攻撃が開始されました。

同午前8時50分、アメリカ大使だった野村吉三郎と来栖三郎特命全権大使は、
ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒を手交しました。

この時間差が、その後騙し打ちと非難され続けてきた根拠です。

最後通牒は、当初、真珠湾攻撃の30分前に、
アメリカ政府へ手交する予定だったそうです。
駐ワシントン日本大使館の井口貞夫元事官、奥村勝蔵一等書記官らが、
翻訳およびタイピングに時間がかかり、
結果的にアメリカ政府に手渡したのが、
攻撃開始の約1時間後となってしまいました。

このことにより、卑劣な日本軍は騙し討ちを行ったと、
アメリカは国民に反日感情を煽り、
また、戦意を高めるために繰り返しアナウンスすることになります。

日本大使館は、前日の夜に飲み会があり、前日の本国からのテレックスを、
タイピングして準備していなかったために、
真珠湾攻撃の前に宣戦布告ができなかったという話があります。

その頃の時代の空気がどんなだったか、容易に想像できるように思うのは、
その後の結果を知っているからではないと思います。
アメリカに手足を縛られた日本が、開戦せざるを得ないだろうという認識は、
大使館員であれば誰もが持っていたのではないでしょうか。

本国から、いつどんな指令が届くか分らない状況で、
大使館員が誰もいなくなる状況を作るということは信じ難いことです。
24時間交代制で待機すべきなのに、
仮にいくら義理のある飲み会であったとしても、
飲み会のために情報を遮断するというのは理解に苦しみます。


井口貞夫元事官と奥村勝蔵一等書記官ともに、
その後外務事務次官になったそうです。
外務省の中の評価が、国の威信がかかった重要な時期の行動を、
その後も、軽く考えていたということでしょうか。
この事実を、どう理解したらよいのでしょうか。

門外漢の自分には、
外務省のセンスはこの時点で既に相当な錆付きが出ているとしか思えないのです。

また、国際法上何らかの決まりがあるのかどうか知りませんが、
タイピングによる文書が間に合わない恐れがあると思った時点で、
道理を尽くして、
口頭にて宣戦布告するという選択肢はなかったのだろうかと思います。
礼儀も何もなくても、非常識だと受け止められたにしても、
爆撃する前に宣戦布告すべきというセンスは文官にはなかったのでしょうか。

不作為に対する感度の鈍さは、特権意識に起因しているのでしょうか。


さて、昨日は、会社から花束をいただきました。

社員の誕生日に会社がプレゼントしてくれるのですが
私などにも・・・・


今の時代、こうしたことを持続できる会社は少なくなっていることと思います。

大企業では、こうした対応はまず無理でしょう。
真っ先に予算をカットされることでしょうから。

経営者に、例え気持ちがあったとしても、毎日の経営業務等に忙殺される中で、
瑣末なことと位置付けられやすいことです。
会社の規模が大きくなると、社内でも仕事一途のスタッフ達の前で、
いかに経営者であっても、口に出しにくく提案しにくい筈です。

そんな中で、個人企業や、オーナー色の強い企業ほど、
社風や文化を育て上げやすいという傾向になるものと思います。


今の時代、個人企業でないと、
従業員に対しての家族的な対応は難しいと思いますが、
そうは言っても個人企業は、仕事に忙殺され、
なかなか労務管理のことまで目配せできない場合も多いものです。

こうしたことが、若い人の離職率などの数字に現れてくるものと思います。






華やかですね、
自分にとっては、豚に真珠みたいものですが


彩りの組み合わせ、配色の妙味ですね、

さすがにうまいものだなーと感心します




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