イヌの話

昨夜、19年前に東京都池袋で日本人女性を殺した疑いで指名手配されていたタイ人が、本国タイで捕まったというニュースを見ました。

現地で、容疑者が周囲からの質問に対して饒舌に話をしているのを見て、何か違和感を感じました。
人間追いつめられると饒舌になる人もいますが、落ち着き払った態度で殺害した動機などを説明している様子は、ヒーローインタビューのようにも見えました。

日本とタイとでは犯罪人引き渡し条約がないために、日本での殺人は、タイではそれほど重い罪には問われないという安心感があるのでしょうか。それとも、南国タイの犯罪者は楽天的なのでしょうか。
日本人の犯罪者とは、様子が大分違っていました。

さて、この容疑者が、日本女性を殺害した理由を聞いていて、思い出したことがありました。
容疑者は、一緒に住んでいた女性と金銭に関することで口論になり、最後にイヌと言われたことに逆上したと言っていました。その結果、首を絞めて刺し殺したというのです。

自分が同棲している女性に、もし粗い語調で非難されたあげく、イヌと言われたところで逆上するものだろうかと不思議に思うのですが、金銭トラブルの殺人の場合、大概貸したり尽くしてやったりと、便益を与えた方が殺されることが多いようです。金銭の便益を受けているという負い目がある中を、その事実をなじるような言い方をされたことで、容疑者は既に沸点に達していたのかもしれません。
以下、イヌの話です。


日本人でも、イヌを蔑視用語として使う場合もあります。それは、権力者の言いなりになった人間を蔑んで、イヌと呼ぶ場合です。
飼い主になつくと、犬は飼い主の家族に忠誠心を持つ場合が多いです。親しい人には尻尾を振って親愛の情を現わしたりします。小犬でも押し倒されそうな大きな犬でも、飼い主にとっては、とても可愛い仕草に映ります。

こうしたことから、権力者に忠実な人に対して、苦々しく思い、イヌという言い方をしますが、こうしたイヌの習性に対して、悪い感情を持つ人は少ないのではないでしょうか。優しくしてくれる人、愛情を持って接してくれる人に忠誠心を持つという習性を愛おしく思うことは自然なことと思います。
生理的にイヌが嫌いな人もいるでしょうし、特定の犬に吠えられたり、咬まれたりした経験のある方もいるでしょう。こうしたことで、イヌという言葉そのものを人を侮辱する言葉として使うようになるというのは、どうもしっくりとしません。

その他、イヌの習性に類似しているとして、弱い人間が群れて良く吠える様を軽蔑して言う場合もありますが。しかし、嫌悪感を持ってイヌを引き合いに出す表現方法には、自分は馴染みがありません。

言葉の用法は地域的に変わりますので、イヌに関する表現方法で、逆上する程侮蔑的に感じる使い方をする地域があるのかもしれません。
イヌ畜生にも劣ると、人を侮辱する表現方法もありますが、縄文時代にはイヌが家畜化されていた形跡が認められています。野犬の存在はあるにしても、人間とイヌとは長い間親密な関係を保っていますし、私はイヌより不誠実な人間など沢山いると思っていますので、自分が同棲相手からこんな言い方をされたとしても、そうかもしれないななどと納得しそうです。


ところで、こうした、イヌを軽蔑・侮蔑の感情を伴った表現するのは、大陸的表現なのだと、以前知人が言っていたのを、日本人女性を殺害したタイ人を見て思い出したのです。

最近ネットで流れているS社への批判に、家族設定と犬のCMの件があげられています。
韓国では他人への差別表現は激しく、黒人や犬を日本人の上位の立場に置くことが、日本人に対する悪意であるという見方です。また、CMで犬の体のある箇所から、多数の日本人が出てくるという場面にも、悪意を感じるということのようです

確かに韓国語で、犬の子供と言う意味のケーセッキという言葉は最大級の罵倒語で、人を侮辱する差別用語のようですが、日本市場の恩恵を受けて、今後も日本向けのサービスを充実していかざるを得ないS社に、日本に対して、その種の悪意があるとは思えません。
しかし、S社の問題ではなく、今のマスコミ業界に変な流れがある中で、CM製作会社等にもおかしな影響が出ていることも考えられなくはありません。しかし、この程度のことは、まともにとりあうのでなく、一応押さえておくというスタンスで対応すれば良いのではないかと思います。

日本でも大ヒットしてシリーズものになった映画『猿の惑星』が、日本人の捕虜となりプライドをいたく傷つけられたイギリス人が、日本人を蔑んで「猿」=「日本人」という設定をしたということは有名な話です。
事実は事実として押さえておくことは重要なことだと思います。また歴史を学んで、言いがかりをつけられたら、客観的に反論できるように、理論武装することも重要です。

しかし、程度問題ですが、いちいち反応して時間と労力をかけるのも無駄なことに思えます。冷笑して無視するのも良いでしょうし、自分達をも寛大に笑い飛ばすのも、また楽しからずや位に鷹揚に構えたいと思います。









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