不愉快さの許容

中国の人口は約13億人といわれていますが、一人っ子政策の影響から、子供ができても2人目の子供の場合、戸籍登録をしていないケースがあります。

こうした戸籍のない子供達は、黒孩子(ヘイハイツ)とか、黒子(ヘイツ)と呼ばれています。10年ごとに行われている国勢調査の2010年度調査で、中国国家統計局が行った人口調査では、こうした戸籍を持たない子供達は、人口の1%程いるとみられていますが、実際は数千万から数億人にのぼるとも言われており、実数は分からないようです。
この時の調査時点で、一説には、実際の人口は17億人だったなどとも言われています。

その他、盲民と言われる浮浪民の人口も、中国国民の人口としては算入されていませんので、中国という国に住んでいる人の数は、とにかく膨大です。


人の数が大きくなればなるほど、人の命を軽く扱う傾向になるものでしょうか。

数の大きさの程度により、質が変わる場合があります。
私達は資源が少なければ、少ない資源を大切に使おうとします。資源が多く無尽蔵にあると思えば、多少無駄に使っても、うるさく言う人は少ないでしょうし、全体のアウトプットにそれほどの影響が出なければ、資源を大切にしようと努力をする人ばかりではなくなるでしょう。

人間の命に対しても同じことが言えるでしょうか。

ある立場の人からすれば、人間も資源のようなもので、人を投入してアウトプットがどれだけ出るかしか興味がないという人もいるでしょう。人を消費財同様に考える人も少なくありません。
しかし、インプットする人の代わりはいくらでもいるにしても、その人の代わりはいません。

数が多くなるにつれ、確率論で考えられる事象の結果が収束していっても、その一つひとつの構成要素の価値が減少する訳ではありません。

その数を何かに使おうとする場合、使おうとする人にとっては、構成要素の価値を感じにくくなるということはあるでしょう。
人の命を軽く扱うようになるかどうかは、その組織の民度の問題、制度の問題にも関係すると思います。(民族の問題にも関係してくるのだろうかと、最近強く感じることがあります)


人命は民度等に影響されずに尊重されなければなりません。それは恣意的また意識的なエネルギーによって一面的な価値観が大きな力となって、権威付けられることを抑制する制度をもってしかなしえないように思います。

日本の現状の政治状況を見て、決められない政治が続いていると表現されることがあります。
そして、その原因が、今の議院内閣制にあるかのように言われる場合があります。
衆参のねじれ現象が決められない政治の元凶だと考える人も少なくないようです。参議院の無用論を唱える声が大きくなってきているようにも感じます。

自分達の考えを受け入れない他者の存在は、邪魔くさく思いがちです。自分が手を汚さなくて済むならば、この世からいなくなって欲しいと思う場合もあるでしょう。自分達の行動が抑えられるのは、不愉快なことです。しかし、この不愉快さを許容することができるかどうかが、人命を尊重する社会の前提になります。

もし、ある日私達が中国国民として生活するようになるとしたら、今の日本で感じている、このレベルの不愉快さを感じながら生活できることは、とても幸せなことなのだということを、身に沁みて理解するのではないかと思います。


衆参のねじれ現象は、一面的な価値観が大きな力となり、権威付けられようとすることを抑制しようと働く理性の力と言えます。
地域や出身母体の代弁者としてでなく、国の問題を真っ向から取り組む上で、現在の衆参両議院の数は多すぎるのなら、一時的に混乱が生じても減らしていくべきでしょうが、これは参議院の無用論とは全く論点が違います。

決められない政治が続いているのは、今の政治家の資質が劣化していること。それゆえ、政策論争を深めて議論の結果で決められない状況が続いていること。優秀な若い人達が政治の世界に参入できにくい障壁があること。官僚の能力もまた時代に合わずに劣化がみられるのに、その修正ができないこと。等々、

これは議院内閣制に問題があるのではなく、政治家の能力が、制度をうまく運用できなくなっているということです。
制度を活かすために、運用に知恵を使って、国民が各自の考えに沿った政治家を正確に選択できるような分かりやすい運営を行うことで、制度運用を行うことが重要だと思います。


一面的な価値観による浮揚力はまるで流行のようなところがありますが、うっかりそれに乗っかって、とんでもない所に行ってしまっても、浮かれただけの運転手は責任を取ってくれません。既に別な価値観に浮かれてしまっています。


不愉快さを許容せざるを得ない制度は、長い期間をかけて築き上げてきた知恵とも言えるもので、日本人の耐性はこの許容する力にも通じ、その結果極めて平和な社会を、戦後日本は維持してきたと思います。
ところが、政治家が重要なことを決められずにいると、短絡的な結果を求めるようになり、一面的な価値観がとても耳に心地よく響くような気になります。






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