文学賞のこと

ノーベル文学賞は、中国の莫言氏に決まりました。

しかめっ面をした文学者然というのが私の文士のステレオタイプですが、莫言氏は、そうした気質とは遠く、気さくでユーモアやウイットに富んだ方だそうです。

氏は中国の波乱の政治に翻弄されつつ、辛さと笑い、喜びを紡いで、物語を作ってきたようです。
先日、中国の一人っ子政策のことを記載しましたが、莫言氏は人民解放軍在籍時に、奥さんが2人目を妊娠しましたが、降格を避けるために産ませなかったそうです。

中国で生活する中での分筆活動は、さぞ御苦労が多いことでしょう。

受賞候補として前評判の高かった、村上春樹氏は今回残念でした。
村上氏はまだまだ若く才能あふれる方ですし、過去の作品の力の他、創作意欲も衰えていませんので、今後も話題作を発表してくれるでしょう。きっと、受賞も時間の問題と思います。


過去に、その作品が海外の多くの国で翻訳され、ノーベル文学賞候補になった作家で、受賞を待たずに逝去した作家がいます。

私が一時期傾倒していた安部公房もその一人です。

安部公房は、私小説を書かず、同時性を意識した特異な文体で、読者に問題を突き付けていきます。
安部の文体、表現方法は、既成の文壇の実力者の中には毛嫌いする人が多いと思えます。
後に安部と対談などをする平野謙も当初は受け容れがたかったようです。安部の能力を評価していた埴谷雄高は、安部の感性を受け入れないだろう平野謙の目に触れないところで、安部を引っ張り上げようと奔走したようです。熱い人だなと思いますが、それ以上に埴谷雄高の目には安部公房が類まれな才能と映ったのでしょう。

芥川賞の選考でも、宇野浩二安部公房を酷評したそうです。しかし、その他の選考委員の中で、川端康成瀧井孝作が強く推したため受賞となったといいます。

私には川端康成が安部の能力を評価するというのが意外でした。川端の作品は好きでしたが、安部を認めるタイプではないと思っていました。安部の推挙者だったということで、私は川端康成に、より好意を持つようになりました。優秀な後進の育成に熱意をもっていたのが推察できます。

また、川端同様、石川淳安部公房の良き理解者ですが、石川淳の文体から当初石川が安部の理解者であるのを不思議に思っていました。後にそれは私が石川の文体に圧倒されて、そのテーマをつかめないでいた未熟さのせいだと分かったのですが。
石川淳もまた凄い作家だと思います。


大江健三郎氏は、68歳で亡くなった安部公房を世界最大の作家の一人として挙げ、急死しなければ安部氏がノーベル文学賞を受賞していただろうという主旨の発言をしていますが、実際、ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長は、2012年3月21日、読売新聞の取材に応えて、「(安部公房は)急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」と語っているそうです。

日本人のノーベル文学賞候補は、意外ですが賀川豊彦もなったこともあります。平和賞の候補にもなりましたが、平和賞の方が業績に合っているように思えます。

その他、谷崎潤一郎西脇順三郎井上靖三島由紀夫などが候補者となったようですが、その時期の空気と風向き、他の国の候補者との関係等、タイミングがとても重要なのでしょうね。
しかし、上記作家の誰が受賞しても不思議ではない位、日本文壇には人材が豊富だった時代がありました。


芥川賞を切望していた太宰治は、とうとう受賞できませんでしたが、その作品は後世に輝いています。
権威が歴史に名を残すのを手助けする場合もあるでしょうが、いくら名誉ある賞を受賞しても、作品に力がなければ一般の人には読み継がれません。






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