ネット情報との付き合い方

You Tubeがヴァージョンアップするたびに、使いやすく感じる場合がありますが、使用しているハードに負荷がかかるため、重くなるということもあるようです。

前々回のヴァージョンアップはインストールして、とても使いやすくなったと感じましたが、先般のバージョンアップは、スマホやPCのスペックによってはとても重くなると聞いたため私はインストールしませんでした。
使い勝手はずいぶん良いそうですので、残念なことですが、、、

我が家のPCで一番スペックの高いものはSkyp等の通信専用にしているため、それ以外ではあまり使用していません。私はPCを移動して使うので、自分専用のノートはメモリーを増設して騙し騙し使っている旧い機種で、負荷のかかるソフトは極力入れないようにしています。

また、私の自宅は、静岡市内でWiMAXがつながらない唯一と言ってよい地域で、1年以上、WiMAXのエリア拡大を待っていたのですが、どうやらサービスエリアから取り残されているようです。
仕方がないので、スマホは自宅で使う時は3Gで良しと割り切って、htcの機種が3代目になったのを待って購入したもので、そう旧い機種ではありませんが、最新のアプリは最新のスペックを想定して開発する場合が多いと思いますので、レヴューを見たりして判断し、最新のヴァージョンアップはしませんでした。

この、You Tubeをはじめ、実に多くのアプリが供給されています。こうしたアプリを通じ、ネット上の情報や様々なコンテンツに触れることができ、ネットがこれほど手軽でなかった時と比べて、私個人的でも情報との接し方が変わってきています。


ネットの利用により、見たい情報へ直接アクセスできる機会が増えたのが、とても便利に感じます。
お気に入りの経済学者が気になる現象をどう見ているか、お気に入りのジャーナリストの考え、いろいろな事件に対して一般の人がどう考えているか、自分のお気に入りの番組、等々へ直接アクセスできます。

報道は所詮は人が行っています。
情報源の信憑性について、真偽の程に疑問を感じる場合がありますが、私がその程度を推察する基準としているのは、誰がその記事を書いているかという点です。
情報ソースへの接し方とその信頼性は、記者の人間性と経験等からくる直感が大きいのではないだろうかと思っています。
また、同じ情報源から得た情報でも、記者の人間性、物の考え方、洞察力等によって、記事の組み立て方が異なってきます。精神に柔軟性が乏しくなってきているからか、私は情報源から自分の考え方と異なる結果を導き出している記事を読むと苛立ちを感じたりしますが、かといって、自分の思考の範疇の記事では退屈に感じます。

情報から何を読み取って、どういうスタンスで何のために報道するのか。この重要な基本は、報道機関・出版社や記者の思想性、社会性、精神性とそのレベル等によりますし、それによって記事の質も変わると思います。

同じ新聞でも、記者によってずいぶんと、ガッカリなものと、これはと思うものとがあります。
署名記事を見ていると、信頼できる自分のお気に入りの記者や、論説委員が決まってきます。
その人達の記事は、安心して読むことができ、とても前向きな刺激も受けます。

例えば、新聞を最初から読んでいくと、同じ新聞社でも記事の質に違いを感じます。
途中まで読んだガッカリ記事を、途中で投げ出すのもあまり好きではないので、一応なるべく最後まで読みますが、自分の場合、普段のこういう時間が膨大な無駄になっていると思います。


さて、私のネットの接し方は、普段の日はネットの全般的なジャンルの主要なヘッドラインに目を通しているくらいで、移動先で時間のあるときなどに、特に感心があるものの詳細を見たりしています。

こうした毎日の情報は、時間が経過すると重要性を全く感じなくなってしまうことも多く、若い頃はたくさんの情報をどう整理していったらよいかなどということに腐心したこともありますが、今は情報の多さが、あまり気にならなくなりました。
たくさんの情報に接したところで、大半は忘れてしまうというのが自分の頭のレベルだというのが、これまでの長い経験から実証されています。それでも何とか生きてこられたので、それならば興味のあることだけで良いと割り切る、というか、居直った割り切り方をすることにしました。ある種の諦めではありますが、そのおかげで、心の平穏が保たれているようです。

休みの日には、興味のあることだけ、というか、気になっていることだけネットで調べています。新聞社等報道機関によって報道のスタンスが違いますので、相反しそうなマスコミの論調を確認して、理解しにくいところがあれば、お気に入りのジャーナリスト等の意見を確認してみる、といった使い方をしています。

ネットをこうして使うようになると、従来の生活の無駄が浮き彫りになりました。
今までは、特にTVの報道番組を見て、社会の問題や国際状況などを分った気になっていましたが、こうした報道番組から得られた知識が、自分の蓄積になっている場合が非常に少ないということです。
その割には、垂れ流しの受動的に情報を受けることに費やしてきた時間が膨大であることです。

やみくもにネット情報に接していれば、今までと同様、情報の波に翻弄されるだけかもしれませんが、ネットはお気に入りの記者や情報発信者のところへすぐにアクセスできます。
そうすることで、情報整理がしやすく無駄が少なくなっているように思います。


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