閑話休題

先日、以前在職していた会社の社長と夕食をご一緒する機会がありました。

小さな会社ですが、瀋陽等で材料の調達をしているため、中国通の一面もあります。
また、東南アジアでの仕事の展開を考えており、ベトナムホーチミンやダナン、インドネシアジャカルタなどの情報を集めていて、以前から何度か話はお聞きしていましたが、先日は現地の写真等見せてもらい、進出希望地の開発状況などを伺いました。

さて、アジアの話題というと、ホットな中国の話題は外せませんが、その社長は中国の東北部への行き来が多いのですが、激しい反日感情を持った人に出会ったことがないと言います。
マスコミ報道では、中国に進出している企業が軒並み撤退しそうな報道がされることがありますが、そんなことにはならないだろう、自分は日中間に不安を感じていないと話されていました。

これは、案外重要なことで、中国だけに限りませんが、私達が日本のマスコミ報道を通じて得る知識や世界観は、上っ面だけの一面的なものになりやすい傾向があります。

今回の反日暴動は官製だったことが、いろんなところから証言者が出てきていますが、基本的な反日運動は中国の国土全体で生じている訳ではありません。


1936年頃から満蒙開拓団として日本からたくさんの国民が満州へ渡りました。
第二次世界大戦末期の1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾する僅か数日前に、ソ連は日ソ不可侵であった筈の、日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州国へ侵攻し、空襲を行うようになりました。
満洲へ渡った日本人で、逃げ遅れた人達へのソ連兵や暴民達の暴行・殺戮振りは、文学作品にも出てきたりしますが、辛い体験を口にしたくないという方も多く、今はもう風化してしまったような感があります。

この時、第二次世界大戦末期のソ連軍進攻による中国東北部における混乱で、日本に帰ることが出来ず中国大陸への残留を余儀なくされた日本人が、中国残留孤児と呼ばれます。


私は、何か事あるごとに反日嫌日運動が起こる中国で、中国残留孤児を引き取って養育してくれた中国の方々の存在に思いを馳せることがあります。
勿論、日本の過酷な環境の農村での労働力事情などから推測すれば、養育してくれたことは決して美談ではなく、農村部では子供の労働力も貴重であり、朝から晩まで働かせる過酷な運命が多かったことでしょう。また、引き取っては、人買いに売ってお金を得るといったことや、拉致されて転売された例などもあったことでしょう。現在でも中国は人身売買が行われています。

殺すよりも、働かせた方が得ということはあるでしょうが、その当時日本人は支配者階級であり優秀であると考えられていたため、日本人の子供は貴重と思われていた面もあったと言われています。
混乱の中で、親が現地の人に一時的に預けた子供を、親が帰国する際に引き取りに行っても返してくれなかった例や、中国人と結婚して家庭人として生きてきた女性が少なくないことから、特に日本の女の子は中国人にも人気があったものと思います。
中には、満州人の養父母から大切に育ててもらった例もあることでしょう。

(ただし、現実に日本に暮らし出している残留孤児の中には偽者、つまり、残留孤児になりすました中国人も少なくないと言われています。日本が外国人に甘いためか、なりすました中国人が親類縁者を本国から呼び寄せたりしている例もあるそうです。こうしたことから、中国に住んでいる残留孤児とみられる女性が、この女性本人になりすました中国人が、既に同姓同名で同じ戸籍を持って日本に入国しているため、本物と思われるこの女性の日本への帰国が認められないという問題も生じています。また、中国残留孤児のマフィア化も大きな問題になっています)


現在の中国では、遼・金・元・清は、漢民族以外の(漢民族が見下していた)異民族が中国を統一した国家ですので、征服王朝などと呼んで、漢民族国家と区別しています。(中国全土を統一してはいませんが、他にも五胡十六国時代南北朝時代にも異民族国家はありました)
しかし、これらの国は、支配者側の民族と異なる、被支配者側の漢民族等を殺戮するというような、被支配者を抑圧する統治方法は取りませんでした。漢民族の民族に合わせた統治体制を残した多重的、複合的な統治体制をとり、多元的な政治体制で国を治めました。
民族浄化などとは無縁な国家運営を行ったのです。(国家を統一する過程で、清によるモンゴルの虐殺などはありましたが)


満州国は、満州民族の清の系譜です。
昨今の反日暴動を基準として考えると、
満州国が日本の傀儡政権であったにしても、そして、実質的な日本の統治によって血の滲むような圧制を敷かれていたならば、いかに支配者層だった日本人を優秀に思い憧憬を抱いていたにしても、日本人の子供を引き取って育てたりするものだろうかと思います。
中国は戦乱の歴史であり、戦災孤児を引き取り育てるという習慣があったとは言いますが、満州国が消滅した後の新支配者層からすれば、旧支配者の子供を引き取るということは、敵をかくまうことでもあり、リスクの高い行動です。
いかに人手が欲しくても、後々の面倒を恐れて殺してしまうという選択肢が、主要な選択肢となるように私には思います。

満州エリアで、激しい反日感情を持った人に会ったことがないという、前述の社長の弁は、満州民族にはそういう考え方をする人が少ないということを示しているのだと思います。
日本が傀儡政権を通じて満州国を統治した時の所業は、満州族の人達も身をもって経験している筈です。
勿論、日本軍が表立って言いにくいこともやったかもしれません。
特に、日本との条約を破棄して戦勝国の恩恵を受けようと日本人に暴虐の限りを尽くしだしたソ連が侵攻してきた混乱時には、逃げまどいながら、現地の民間人との区別がつかない民兵を恐れて、時には誤って不幸な結果を生むということもあったろうかと思います。

しかし、日本が統治に関わって、極悪非道な抑圧体制をとったのであれば、今尚、根深い反日感情が残っていて当然と思います。
嫌日感情を表面には出さずに、面従腹背とまでいかなくても、仮に相手の腹に一物あれば、継続した商取引を行う過程で、日本に対して、日本人に対して、何らかの感情の存在への気付きがあるのではないかと思います。
(昔の話ですが、山口出身の後輩の女子学生が、福島に合宿に向かっている時に、戊辰戦争へのこだわりから、福島行きは、あまり気乗りがしないと話すのを聞いて、私はとても驚きました。その後社会人になってから、何人かの会津出身の人と仕事と関わることがありました。それぞれに背骨の通り方が違うなと私は感じました。教育の中に自分達の歴史が息づいており、それが生きる上でのバネになっているのを強く感じました)

私は、同様に、チベット族ウイグル族モンゴル族の人達もまた、激しい反日感情を持つ人は少ないのではないだろうかと思います。

一つの行為を、総て肯定、あるいは、否定するということは、狂気と思える行為でもなければ、ためにする考えに基づいており、物事を複合的に見る姿勢からは遠いと思います。

具体的で細かな事を考えていくと、日本が中国で行ったこと、中国が教育や扇動等で形成している世論、これらの評価は、作られたものではないかという疑問がふつふつと湧いてきます。

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