憧れの地の大いなる幻滅(5)

公共放送の運営というのは、民放とは、また異なる難しさがあると思います。

NHKも戦前は国営放送でしたが、戦後GHQが、BBCをモデルにして受信料徴収制度にしました。
そのBBCは、従前の放送会社から、1927年に公共事業体であるイギリス放送協会BBCとなりました。

BBCは受信料徴収制度により、政府や企業の力に屈しない公正な放送を行えるとしています。

こうした姿勢を評価しているイギリス国民が多いということは、イギリスの視聴者に、国や利害団体に与することのない視聴者のための放送を求める要求が強かったからでしょう。そのため、映像というメデイアにもかかわらず、番組には地味なものが多いようですが、国民に長く支持され続けているものと思います。

自由と平和を議会制の民主制度を積み上げることで、守ることができていることの重要なポイントを、国民が良く分かっているということでしょう。血と汗と多くの労力で培ってきた民主主義の歴史を感じます。

日本にいると、映像番組の作成に当たっては、視聴者の目を惹くように作りやすいと思いがちですが、それは、思い込みに過ぎないのかもしれません。
視聴者に飽きられないように、目新しい企画、派手な色遣い、内容がないのにオーバーなアクション、視聴者の対象のセグメントができていないと思える放送内容と時間帯、、

BBCには若者向けのチャンネルやニュースばかり放送しているチャンネル、政治物が主体のチャンネル、教育番組のチャンネル等、チャンネルにより、対象者のセグメントを行っていますので、視聴者は番組選びにイラつくことが少ないと思います。

日本でも、チャンネルによって対象とする視聴者をザックリとでも区分けした上で、視聴率にこだわるという流れができないものかと思いますが、多チャンネルを抱えることのできるNHKでもそんな発想はなさそうですし、民放はチャンネルごとに横並び意識が強いために期待できないように思います。

CS、BS等、多チャンネルにはなったものの、製作費の問題もありますので、興味がセグメントされた内容の濃い番組を造るということは大変難しいことに思います。
有線放送では映像が伴いませんので、ロックやジャズ、軽音楽、クラシック、また、落語や外国語放送等々、専門的な多チャンネルを、コストを抑えて一方的に流すことができますが、TVではそれなりに質が求められ、関わる人も専門性が問われてきますので、地上波のような素人コメンテーターでお茶を濁すというわけにもいかないでしょう。
ひと頃、出来合いのコンテンツをかき集めなければなどと、多チャンネル時代に備えて各放送局が奔走しようとしていた時期があったように記憶していますが、今は低位に落ち着いているような気がします。落ち着いている場合ではないのですが。


若い人でTVをほとんど見ないという人も多くなっているようです。ネットの方が若い人の興味を惹くのでしょうか。TVは面白くなく時間の無駄という若者の声も良く聞きます。
地震情報とか、ニュース速報などの即時性の情報を得るためと、時計代わり程度に、TVをつけっぱなしにしているという人も良く聞きます。音がないと寂しいからつけているだけで、特にじっくり画面を見ている訳ではないという話も聞きます。
私の場合は、仮に見たいと思う番組があると、録画をしてから見るようにしています。見る場合は、多少声が早口ですが、倍速で見ることができます。しかし、録画リストを見て、そのまま見ないで削除してしまう場合も多いです。

日本でのこんな生活と比べてみると、イギリスの国民は精神的にさぞかし豊かなのだろうなと思えてきます。
アメリカ人と比べると、私はイギリス人は何となくとっつきにくい感じがして苦手なのですが、
パックス・ブリタニカパックス・アメリカーナとの底の違いを感じる時があります。