憧れの地の大いなる幻滅(7)

マスコミが嫌う対象者の評価を貶めるような発言や映像を、前後の脈絡を無視して切り取り、何度も繰り返して放映することで、視聴者に間違った評価を与えること。
TVのニュース番組が行う常套手段です。

大分前からこうしたことは行われていたと思いますが、私の記憶に焼きついているのは、

森 喜朗総理(小渕総理の次で、小泉総理の前ですね)の時、2001年2月10日、ハワイ沖で日本の水産高校の実習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没した事件がありました。日本人9名が死亡した「えひめ丸事件」です。

このときの第一報を、森総理はゴルフ場で聞いています。森総理は、えひめ丸事件の第一報を聞いた際に、直ぐにはその場を離れないようにと関係者に言われたため、ゴルフ場で待機していたということでした。衝突により実習船に乗った日本人が海に投げ出されたこと、相手がアメリカ軍の潜水艦であることなどの連絡があり、次の第三報が入るまで1時間半の間、プレーを続けたことが非難の的になりました。

そのときの、マスコミ報道は、森総理が能天気にゴルフをプレーしている映像が、何度も何度も繰り返し放映されました。(この映像は、以前に撮影されたもので、事件を聞いた当日の映像ではありませんでした)
しかし、視聴者の多くは、大事件が生じているのに、その報告を受けても尚、事件などどこ吹く風と言わんばかりの表情でプレーする森総理の姿の映像と理解し、国の最高責任者に相応しくないと思ったに違いありません。

国会でも、このときの危機管理が問題にされ、森総理の資質が問題にされました。マスコミも連日のように森総理を非難して、退陣して当然という流れができました。

森総理は、それ以前にも、また、後にも失言問題が槍玉に上がり、マスコミの批判の矛先となりましたが、自分の発した言葉の意味をマスコミにきれいに変えられて、うまく利用されての失言問題として尾を引いたものが多かったと思います。脇が甘く無用心すぎるとは言えるのですが、マスコミの報道は卑劣に思います。

日本での陣頭指揮を何でも総理大臣が行わなければならないわけではありません。所管の大臣もいるわけであり、常に連絡が取れる状態で、的確に判断を下せる状況であれば、ゴルフのクラブハウスで待機していても、プレーを続けていても、後者が格別悪いこととは思えません。
日本の国は、他人を非難する際には、国民が皆聖人君子になって、実に辛気臭い空気が生まれます。この空気を吸うと、国民はとたんに思考停止に陥るのです。
森首相の過は、こうした国民の性向を理解して火の粉を浴びる恐れのあることを理解していなかったことですが、過ではあっても、非とは思えません。


日本のマスコミの姿勢がジャーナリズムとは遠いものであるために、その報道に踊らされている私達も、物事の本質をつかむという能力がなかなか身につかず、それがBBCの存在を必要とする人の多いイギリス国民との、民度の違いになってくるのかもしれません

日本のマスコミの、こうした手法は手を変え品を変え行われていきます。
サブリミナル効果は意識下での映像効果ですが、マスコミのトップの意向を汲んだ新聞社や放送局は、世論をある方向に向かわせるため、顕在化した映像を、これでもかと流し続けます。

私は、森総理は、当時リーダーとして適任ではないと思っていました。状況に応じた適切な言葉を繰り出す能力に欠けており、国内外の問題について、自分の思うところを正確に伝える能力が乏しいと思っていました。
派閥政治で、根回し調整には長けていたのでしょう。
自民党の派閥政治では、実力者の意向の比重が大きいため、他人との違いを、いかに理を尽くして分かってもらおうと説得するという、コミュニケーションの重要性があまり顧みられず、そうした素養を身につける機会も少なかったものと思います。
後から検証すると、あの発言は誤解だったようだと思える発言が森首相には多いのです。良く言えば、豪放磊落なのでしょうが、時代は、日本の政治家に国内外に自分の考えをアピールすることを求めていました。
この時代の空気に合致したのが、次の小泉総理だったと思います。

森総理は交代した方が良いと思いましたが、マスコミの政治家を陥れようとする報道姿勢は論外に思います。
ネガテブキャンペーンと呼ばれる批判活動は、その内容が事実であれば、品格の問題はありますが機密事項でなければ報道の自由は守られるべきと思います。しかし、日本のマスコミが行う報道には、事実を視聴者が逆に受け止めるように仕組んだ報道の場合があります。ジャーナリズムのかけらも感じられません。


こうしたマスコミの作為的行為は、その後の、安倍晋三総理、麻生太郎総理、中川昭一財務・金融担当大臣を追い込む際にも、存分に発揮されました。


中川氏は、政策通でありアメリカなどの友好国にも、正論を遠慮せずに堂々と主張する大臣でした。中川氏はアメリカにも中国にも正論を物申す政治家でしたが、財務官僚はアメリカシンパが多く、アメリカの意向を踏まえた財務政策を支持する役人が多いため、アメリカの国益に資するための政策に堂々と反対する中川大臣を快く思っていなかったようです。こうした中川氏に統括されるのを、当然ですが財務省は嫌っていたことでしょう。

中川大臣が辞任せざるを得なくなった事件は、これもマスコミによる繰り返し放映された映像がきっかけになりました。ローマで行われたG7での中川大臣の映像を、日本のTV局が執拗に放映したことで、大臣は辞任せざるを得なくなりました。体調の悪い中川氏の両側で挟み込むようにして、酩酊状態に見える中川氏に記者会見を強いたといいます。財務官僚は親アメリカ、マスコミは親中国ですが、自民党バッシングで利害が一致したのでしょうか。

中川氏は、アルコール好きですが、会見前は酔うほどのお酒は口にしていなかったそうです。それが側近に勧められたワインを飲んで、急に気分が悪くなり、酩酊状態のように呂律が廻らなくなったとのこと。体調が悪いのだから、財務官僚が代わりに記者発表をすれば良いものを、大臣は官僚達に両脇から挟まれて無理やり会見に臨まされているようで、あえて晒し者にされているような会見に見えました。

大事な国民にG7の結果の報告をする記者会見の席で(代理が行っても何ら問題のない会見だと思いますが)、酒に酔ったかのように見えて、呂律が廻らない様子を、マスコミに撮影させ、日本に映像を送るや、日本のTV局は繰り返し繰り返し放送し、大臣辞任の世論を形成していきました。

中川大臣の両脇にいた官僚は、大臣が辛そうに記者会見を行っているのを、他人事のようにサポートもせず、我関せずの体で、しらっとして、大臣に自分で始末をしろといわんばかりの態度に見えました。とんでもない側近だと私は思いました。普通の神経であれば、中川大臣の体調を見て、大臣の汚点になるような記者会見をさせるだろうかと思います。この財務官僚の人間性は唾棄すべきものと思いました。また、大臣の秘書は一体何をやっているのかとも思いました。
その時は、恐らく、裏でとんでもないことが起きているのだろうとは思いましたが、後から次々と出てくる情報を知った時には、戦慄を覚えました。


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