憧れの地の大いなる幻滅(9)

リアルな世界ではいろいろな制限があるために、表立っては言えないことが多いものです。些細なことでしたらスルーしても、自分自身にも、そして他人や社会にとっても重要な影響を及ぼすことはありませんが、これを無視したら、良心の呵責に苦しむことになるということがあります。

事実が曲げて伝えられているが、これが真実であるという情報を抱えている個人は、世の中に数多く存在すると思います。
実際は、それが個人の思い込みで真実でも何でもない場合もあるかもしれんませんが、自分が事実と思っていることが露わになれば、誰かに大きな影響を及ぼします。しかし、このまま知らない振りをするのは、違う誰かや社会に犠牲を強いていることになり、心がとても痛みます。
こんな時には、多くの人の幸福のために、少数の犠牲はやむを得ないと自分自身に言い聞かせて、自分の心を鎮めようとする場合が多いのではないかと思います。

会社の存続のために、ミスを隠蔽したり、特定の社員の責任にして切り捨てたり。関わった方は、後味の悪い思いをすることでしょう。

どこの国でも、社会正義よりも内々の事情を大切にするあまり、隠蔽工作をしてしまうということはあるでしょう。
日本の場合は、忠誠心と思われやすいのですが、実際は農村共同体社会の相互監視体制の影響も大きいと思います。
それゆえ、社会正義を貫くことに躊躇し、仲間を裏切るような後ろめたさを感じることが多いと思います。

直訴すれば打ち首などという社会風土も、何が善で悪なのかを感じ難くするという方向に作用していたでしょう。
徳川幕府では、直訴=打ち首ではなく、直訴の内容が事実であり正当であると判断すれば、赦しが出ていたようですが)

杉木茂左衛門のように、仲間の誰もが悲鳴を上げている状況にならなければ、直訴が正当な評価をされ難いのではないかと思います。

ちょっと例えは違いますが、
忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならずと、どちらを取ったら良いかで悩んできた人は多いもの。
この場合は、忠ならんと欲すれば公に信義を尽くせず、公に信義をつくさんと欲すれば忠ならず、といったところでしょうか。
現在の景気状況でオジサン企業人は、忠であることから離れることへの抵抗は大きいと思いますが、景気が良くなり、雇用の流動性が高まり、就社意識よりも就職意識が強まれば、労働者も社会正義と自分の生活とをトレードオフの関係において考えなくても良くなってくるでしょう。


さて、由々しき問題に関して個人の持っている『真実』の情報を、ネットを使ってすくい上げ、事実かどうかを本人や関係者に調査し、客観資料で検証し、法的に問題ないことを、ネットとリアルで報道し、場合によっては追及していくという、新しい形の報道スタイルができれば、社会悪の抑止力にもなるでしょう。
また、事件が起きても事実が闇に葬り去られていくという憤懣が政治等への不信感になる場合が多いのですが、そうした政治や行政への不信感も薄まっていくことと思います。

政治や行政への監視・チェック機構になりますので、反発は多いでしょうが、実際は国民と、行政・立法・司法との信頼感を醸成することに役に立つと思います。そして、善悪の基準を、再度日本の社会で共有化できるようになるのではないかと私は密かに期待するところがありました。

その反面、監視社会に通じて嫌だと拒否反応を示す人もいるでしょうが、大概はそうなったら、裏をかいくぐって悪いことができなくなるぞと警戒する人達が多いのではないかと思います。
また、進歩的知識人と言われる、稚拙な社会性をもった作家や左翼的知識人や、現在の主流となっている左翼的マスコミは大反対をすると思いますので、既存ののマスコミからはこうした考えは出てきにくいと思えます。しかし、今のままでは日本のマスコミは、真実を渇望している人達から相手にされなくなるでしょう。


日本人は日本のマスコミの現状を嘆くあまり、BBCを美化しやすい所があると言われますが、BBCだったら、この類の事件に対して、どういうスタンスを取るだろうかと、ついつい考え込んでしまいます。

マスコミが嫌う主張をする政治家については正当な評価は行わず、功績に触れることもあまりなく、失態のレッテルを貼りつけて埋没させてしまおうとしているように思います。

'