心と景気浮揚

先日は、鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏が庶民派振りをアピールするのに腐心していたことを記しました。また、管直人氏が当時の麻生総理に焼き鳥屋へ行けなどとおっしゃったことを記しましたが、この現象を見ても、民主党政権のトップ達には経済政策が理解できていないか、国民の生活を大切にすることを標榜しつつ、実際は経済対策など二の次位にしか考えていないことが分かります。

現在、銀行は貸し先がなくて困っています。いえ、借り手はあるのですが、銀行として安心して貸せる貸し手がないということです。そのため、営業にならない状況ですので、国債を引き受けて、国債金利よりもずっと低い金利に預金金利を据え置くことで、利ざやを稼ぐなどという、後ろ向きの対応を行わざるを得ません。その結果、預金者の金利は無きに等しいものになります。それでも、銀行は利益を出しにくいので、外資の銀行では特に珍しいことではありませんが、一定額の預金額が口座にない預金者からは、年間で口座管理料を徴収する等の対応を、時期を見計らってやろうとしています。
銀行にお金があっても市中に出回らないことには、景気の浮揚にはつながりません。銀行にお金がたくさんあっても、そのお金が経済活動に廻ってくれませんと、血流にはなりません。

鳩山由紀夫元首相のような裕福な方は、家族でバーガーショップなどに行かずに、お昼は心おきなく1万円以上のランチを食べ、夜は家族どころか、支持者や知人友人を引き連れて、豪遊していただくことで、経済が廻り廻って庶民の生活にも何がしかの恩恵が巡ってくるというのが社会の構図です。

それを、庶民からかけ離れているなどという、経済音痴の新聞記者や国民に阿るように、庶民派たらんなどというポーズを、政治家のトップが取ろうとするようでは困ってしまいます。
他の富裕層の方達も、鳩山氏や小沢一郎氏のポーズを見て、ちょっと自分も自粛しないと、まずいかななどと、生活振りを見直して倹約するようになってしまったら、経済は一層縮みこんでしまいます。

浪費しろということではありませんが、その生活スタイルにあった消費活動をしていただくことが、日本を明るくすることにつながります。

不要なものを揃える必要はありませんが、いずれ購入しなければならない物や、いずれ行わなければならない家の補修などは、多少前倒しでも行って頂きたいです。
また、新たに興味のあるものがあれば、購入されれば生活に彩を添えてくれることでしょう。
いろいろな所に旅行に行って、目新しい風俗を楽しんで、飲食を楽しみ、名所旧跡を廻られたりと。
新しい車は新機能満載です。廻りの眼など気にせずに、毎年買い換えるぐらいで、いろいろな車に乗られるのも楽しい人生になりそうです。環境に優しい車に替えたといえば、周囲は黙るでしょう。
また、周囲にうるさい人が多いのならば、新居に引っ越すと言う手もあります。人生の節目節目で生活環境を変えるというのも、また楽しからずやです。

富裕層の方達には、もっと生活を楽しむ方向で浪費、否、お金を落としていただいて、そして、それが、とても楽しく有意義なことだということが世間に伝わるように、報道も考えてくれないかと思います。富裕層の人達が先行指標として前へ進んでいけるような空気を作るのは、とても大切なことだと思います。
富裕層達が好んでくれた商品を作っている企業は、物が売れ出せば在庫を貯めるようになります。さらに、製造設備を増強する必要になれば、資金需要が発生します。銀行で滞っていたお金が流れ出します。この循環をうまく廻していくことは、最初はとてもデリケートな配慮が必要で、人々の心を暖める必要があります。

それなのに、総理大臣に、庶民感情を考えて焼き鳥屋で飲め、はいけないでしょう。リーダーの言ではありません。焼き鳥屋で飲食するのは楽しいことですが、心を縛り上げるような空気を作ることは、大変まずいことです。

庶民が富裕層を妬むのを恐れて、庶民派を気取るなどということは、リーダーの取るべき姿勢ではありません。
東日本大震災後のように、社会情勢によっては、自粛しないと指弾されるような空気になる場合もありますが、自粛することは復興を遅らせるだけです。
自制しなければ叩かれる時もあるでしょうが、そういう時こそオピニオンリーダーとして、経済のあるべき姿、どう行動しなければならないかを提言していく必要があります。それを、一時の批判を恐れて、御身大事さのために正論と異なる行為を取ったり、国民に嫌われないようにと、本質論に言及することなしに、機嫌取り政策を行うようでは、混乱を招くだけです。


リーダーが火の粉を被ることを厭って、民意に沿った政治をしたいなどと考えているようでは、政治家は必要なくなってしまいます。
国民IDを使って、ネットで民意を集約するシステムを作り、行政が政治家の業務を少しだけカバーするようにすれば、政治家は不要になってしまいます。民意が大事などと言って、民意の風に反応する風見鶏のような行動を取っていたのでは、政治家自らの存在意義を否定しているようなものではないでしょうか。もっとも、そんなシステムができると政治にかかるコストは削減できますが、今度は行政に権力が集中する嫌な国になり、賄賂が横行するようになるかもしれません。

国会議員は少なくとも民意を反映した選挙で選ばれています。普段の活動の中で、十分民意は拾い上げているはずです。その国会議員が、一つ一つの政策について民意を確認してなどとという態度を見ると、ウンザリしてしまいます。

自らの信念で政策を立案して、その施策でもって、どういう国を作ろうとするのか。ここで民意を得るのが選挙です。

しかし、その政策を私達に分りやすい言葉で、理解できるような説明が欲しいところですが、理解できるような説明では浅すぎてしまい、深く詳しい説明では、何だか良く分らないというのが、これまでの選挙の政策論議のように理解しています。これは自分の理解力に問題があるのですが、これをうまく紐解ける人が出てきてくれないものかと、選挙のたびに思うことです。
TV討論会などでも、論点の整理がマスコミにはできずに、表面的なそれぞれの政策の照らし合わせ位で、時間切れで終わるのがこれまでのパターンに思います。

もっとも、私達が政治家の、例えば経済政策を理解しようと思うと、大変な労力が必要です。1つの政策でも、全く反対の結果が生じるとして、賛成する人もいれば反対する人もいます。
経済学者でさえ意見が異なります。まして、それを報道するマスコミは経済の内容よりも、政局のほうに関心があります。マスコミが支持する政党は持ち上げますが、そうでない政党や政治家には、イメージを貶める枝葉末節なことを報道します。都合が悪いと本質論から目を遠ざけるような陽動作戦を行います。

世界的にも人の良い日本民族は、全くの愚民政策の中で生活をしています。それゆえ、私達は、耳障りの良い政策を主張している政党が、自分達のことを大切に考えてくれているだろうという、錯覚を持つようになります。