心暖まり、肩を押される

昨日は、「銀行は貸し先がなくて困っています。いえ、借り手はあるのですが、銀行として安心して貸せる貸し手がないということです」と記しましたが、

デフレ不況と言われる今の時勢ですが、私の住んでいる地方の静岡県内でも、業容拡大、新規出店のために土地を物色されている法人は少なくありません。積極的に情報収集されている法人は、現在の業績が好調で、資金的にも問題のない企業です。

片や、不況下にあって、新規で起業する人が減ったと言われます。
街中の飲食店や事務所は空きが出て、また、ひと頃そこそこ活気のあったロードサイドの店舗は、空いても次が決まらないままだったりと、静岡市の周辺都市では、こうした傾向は何年も前から生じていましたが、静岡市内でも最近目に付くようになってきました。
こんな風景を見ていると、新規起業による資金需要は見込めないように見えます。銀行も攻めの経営ができないで大変だろうなと思います。

しかし、新規で起業しようと思っても、銀行から資金が出ないために事業計画が頓挫して起業できないという方もいるのです。

資金を必要としている人がいるのに、銀行が資金を廻さないのですが、だからと言って銀行を責めることもできません。いくらやる気のある経営者であっても、この不況下で新たな事業が成功するかどうかは未知数ですから。融資をして、融資先の事業が芳しくなければ貸し倒れになります。減点方式の組織であれば、見通せない事業にリスクを取るのよりは、じっとしていた方が良いという選択も責められないとは思います。

銀行は長い間担保主義により融資を行ってきましたので、融資先の事業が業界内でどの程度通用するかとか、新しい需要を想像する可能性が高いかとか、業界内での競争力があるかとか、その業界での生き残りのためにはどんなセグメントが必要かとか、はたまた経営者の資質がどうかなどの審査する眼力は、例えこの基準が融資条件の項目にあっても、十分なものではないと思います。
記述内容でお金を貸すのではなく、実質的に担保を取るから貸すのです。記述は二の次ですので、作文になりやすいという傾向があるでしょう。
となれば、事業性を判断する目は銀行マンには、なかなか養われません。懸命に努力している方はいますが、デイリーワークに追われて、体で覚えることは難しいと思います。

こうした現状を見るに(一地方の現状を踏まえて一般化するなというご批判はあるでしょうが)、政府がお金を市場に流そうと思っても、新たに事業をやろうとする人に資金が流れないのです。
資金を必要としている方が、新たな需要を創造できる供給者となるかもしれないのにです。

起業家が減ったと言っても、その根拠の数字は、銀行が安全な貸し先にしか融資しないのが実績数字になっていますので、当然のことです。実際は起業できないように手足を縛っているのです。
お金は滞ったままです。ここ何年間かは、こんな状態です。

それでは、資金をただ還流させれば良いのかということになりますが、ここで明確な意図のある政策を伴わない限り、血流は流れませんし、金融機関が腰を上げようとはしないでしょう。金融機関の心も内側から温めないことには前へ進みません。
流通する市中マネーを増やして血の流れを良くする必要があるのに、心臓も気が弱っているので血を送りこむのに逡巡しています。当然血の巡りが悪いので、体のあちこちの組織は新陳代謝ができずに老廃物も抱え込んでしまっています。


経済には政策ときっかけが大切です。いざ、血流が流れ出すと、循環が大きな流れになっていきます。それには心を暖める必要がありますが、今の日本は、年金や社会保障の問題で、老後の生活不安が解消できないために消費に廻らないといわれます。

そこで、老後の生活不安を解消するために、その財源を確保しようと消費税を上げます。
その消費税の増税分で、社会保障を充実させようとしますが、消費税を上げたために国民が生活防衛をするようになり、消費が冷え込んでしまいます。売上が減ってしまいますので、消費税も思ったように増えません。そのために、消費税を更に増税しなければならなくなります。すると、ますます、物が売れなくなり税収は増えず社会保障の充実もできません。更に消費税を上げ、法人税も上げていきます。
物は一層売れなくなりますので、企業は設備投資を控えますので資金需要は更に少なくなります。お金は凍りついたように滞ってしまいます。企業は従業員を抱えられなくなり、失業者が増えていきます。

新党乱立の今回の選挙でも、このような政策を前面に出している政党もあります。
一部を抽出して、声高に叫ぶとそれなりの説得力を帯びるので困ったものです。
とくに、この考え方は、縦割り行政の一つのあだ花、というより、廻りを良く見ないから袋小路に入り込んでしまったようなところがあると思います。
財務省などの力のある省庁が、自分の部署だけの、というと言い過ぎでしょうが、自部門の省益を重視するあまりに、自省の業務の完結性を求めすぎると、社会全体のバランスを欠いた施策になりやすい傾向があると思います。これは、その一つの現れのように思います。

上記の施策では、押しても引いても、経済活動が動かないように見えます。

ここでは、歯車が回転するきっかけを作ってやり、気持ちを暖めて前に向かうように誘うことが大切だと思います。歯車が回転していけば、その方向に進めば税収が増えて、社会保障に資金を廻せるようになり、老後も安心して暮らせます。この流れを作るしか、日本の再生はないように思います。

政府が行うべき施策で、景気の肩を押してやるきっかけとなる基本的な施策といえば、単純すぎると思われるかもしれませんが、公共投資が基本だと思います。
公共投資で重たい歯車を回転させます。回転するきっかけを作ります。

しかし、公共投資というと私達にはアレルギーがあります。
無駄な投資で一部の不透明な資金が政治家に還流しているのではないかとか、船が接岸しないような場所に船着き場を作ったり、ガラガラの一般道路と並行して高速道路を作ったり、不要なものに巨額の税金を投入して、投資事業が終わると、途端に不況に舞い戻る。
黒い噂とその効果に疑問符がつくということです。

確かに私達のイメージの一端には、こういうマイナス面がちらついています。
しかし、良く良く考えてみれば、このマイナス面は公共投資という経済政策のマイナス面ではありません。

しかし、このような疑問を深く掘り下げずに、民意の受けを狙った、コンクリートから人へなどというメッセージが出てくると、公共投資総てが悪のような空気が蔓延しだします。