憧れの地の大いなる幻滅(14)

マスコミの胴元企業は、業界で作成・放映する番組を視聴してくれる人達をB層と呼んでいます。
今のマスコミを支えてくれているのがB層の人達であり、この文化の担い手である人達による文化を、B層文化などと呼びます。

B層の人は比較的TVを良く見てくれます。
TV局はこのB層の人が乗りやすい番組を作り、B層の人達のハートをつかむCMを考えて放映します。
B層の人達をトレンドにのせて、商品の購買へと誘導していきます。

B層の人達は、例えば、権威あるグルメ雑誌に載っているようなお店によく出没したりします。
このように、これらB層の人達が消費の大きな潮流のひとつでもあるため、大企業をはじめ、企業のマーケッテイング担当者は、この人達にどうやってアピールしたら良いかを考えています。

彼らは、B層の人達を、『マスメディアに踊らされやすい知的弱者』と定義づけています。

また、B層の人達の情報源は、TVによるところが多く、彼らはB層の人達が、近代的諸価値を妄信する層とも位置付けています。


B層、何だか気分悪いネーミングで、意地悪な定義ですね。しかもランクの低いくくり方です。
社会学者がこうした対象区分をして、その対象に対して冷徹な評価を下すのでしたら分かるのですが、、

マスコミ人達が生活ができるのは、こうした人達のお蔭です。
自分達がお世話になっている人達を、こういう目で見ていながら、この人達に迎合する番組を作っていくのを業とするというのは、世の中の一般の商売とは、その精神性において大分異なるように思えます。

マスメディアに踊らされやすい知的弱者であるのにつけこんで、視聴者を思い切り踊らせる作品やCMを作って流しているというスタンスのようです。視聴者を道具としてしか見ていないようです。

彼らにとっては、お世話になっているのはスポンサー企業であり、踊らされている視聴者はカスタマーではないという認識なのでしょう。



例えば、毎日私達が使用している食器も、高級なものから廉価品、また100円ショップなどでも実にいろいろな種類の物を売っています。
仮に金額が安い商品でも、たとえ消費者がその品質を見極められないだろうと思っても、製造者はその作りの質を極端に落とすということは通常では行っていないと思います。

勿論コストと出来栄えはトレードオフの関係で、どこで妥協すべきかという線はありますが、日本の製造業者は低コストであっても、いかに良い商品に仕上げるかということに腐心して商品を作ります。
消費者が喜んで手に取ってくれるように、廉価品であっても、高級品に負けない位のレベルの商品を作ろうという気概が日本の物作りにはあります。この物作りの心は、消費者に伝わるものと思います。

他方、視聴者を知的弱者という捉え方をして、自分達の作る商品を、視聴してくれている知的弱者の知的レベルに合わせるという姿勢が、企業人の態度としてどうかと思います。
業界に携わる良心あるマスコミ人であれば、知的弱者を、少しでも弱い部分を補えるように、強い方向に持っていけるような番組を作ることに腐心することがあっても良いと思います。

現実には、知的弱者をそのレベルに維持させるか、より物事を考えられない弱者へと追い込むような番組を作って流しているように思います。
全体の中でのバランスが重要と思いますが、娯楽の中には知的な喜びで精神が覚醒されるものもありますが、娯楽番組以外でも、文字通りPastimeとしか思えない物が溢れているように思います。

社会や人間の生き方に資するという、理念や哲学が感じられないこの業界は、他の産業と比較すると、異常性を感じます。
製作現場では担当者は体を張って奮闘している人達も多いでしょうが、別な方向にも体を張る必要があるでしょう。

報道の自由を叫ぶのであれば、もっと商品の質を上げることに体を張ることと、自分達の立ち位置を真摯に内省すべきではないでしょうか。
働く人達の裾野も大きいので解体というわけにはいかないでしょうが、少なくとも再編成しない限り、業界の衰退と、国民の知的2極化が進んでいくと思います。