三菱車のリコール

事務所に三菱製の軽自動車があるのですが、昨日、その車のリコールの通知が届きました。

この車、以前からギアの調子が悪く、運転に慣れないとちょっと怖い車ではありました。
先月には同僚が郵便局に行った時にエンジンが止まって動かなくなり、レッカーで修理工場に運んでもらって修理してもらったということがありました。

リコールの案内を見てみると、エンジンオイルの漏れが生じて危険なので、警告ランプが点灯したら車を寄せて停車して、三菱に連絡するようにということが記載してあります。
そのくせ、部品がないために、修理は1月半ば以降になるとのこと。

何か対応が変だなと思い、ネットでリコールの記事がないかと調べたら、三菱自動車は、不具合を知りながらコストのかかるリコール対応をする気が無かったようです。しかも、会社側は、この不具合を2005年2月には把握していたのです。3年後の2008年1月には、社内会議で、事故が起きていないためにリコールは不要と決めたとのこと。

リコール対応には危険予防の意味がある筈ですが、三菱自動車の、事故が起きていないのでリコールは不要という論理は、自動車会社の社員でしたら、誰でもおかしいと思うのではないでしょうか。事故が起きないようにリコール対応で危険を予防しようというのが、本来の考えの本筋でしょう。

国交省はどこで知ったのか、2009年10月と12月に、三菱自動車にリコールを行うよう行政指導を行っています。
しかし、三菱自動車はコストを抑えるためでしょう、作為的に根拠のない車種の絞りこみを行ったそうですが、そのため、事務所の車にまでは今までリコールの案内が来なかったということなのでしょう。
不具合の認知からもうすぐ8年経過します。
また、三菱自動車国交省に虚偽報告もしたそうです。

会社内の対応が酷かったのでしょう、内部からの通報もあったとのことです。

結局、管轄の国交省陸運局とで立ち入り調査を行ったという、こんな記事がありました。

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三菱自動車を立ち入り検査=本社や統括本部など9カ所―リコール消極姿勢で・国交省
時事通信 12月25日(火)10時14分配信

 三菱自動車がリコール(回収・無償修理)に消極的だったなどとして、国土交通省から厳重注意を受けた問題で、国交省と各運輸局は25日、同社本社(東京都港区)や品質統括本部(愛知県岡崎市)など9カ所に対し、道路運送車両法に基づく立ち入り検査を行った。数日間続く見通しで、法令違反がなかったかどうかを確認する。
 他の対象は、販売店に対して技術的なサポートを行う北海道と宮城、埼玉、愛知、大阪、岡山、福岡各府県所在の「テクニカルセンター」。複数の販売店にも検査に入る予定という。
 国交省などによると、三菱自動車は2005年2月、軽自動車のエンジンオイル漏れの不具合情報を入手。08年1月の社内会議で事故が発生していないことなどから「リコールは不要」とする判断を下した。
 一方、国交省は独自に検証した結果、09年10月と12月にリコールを実施するよう指導。三菱自動車は10年11月に最初のリコールを行ったが、実施前、国交省に対し、「オイルは大量に漏れない」などと実態とは異なった不適切な説明をしたという。
 また、明確な根拠がないのに対象車を絞り、同社社員の内部通報や国交省の指摘を受けた。最終的に計4回で10車種計約176万3000台を届け出ており、国内で最多リコールとなった。三菱自動車の外部有識者委員会は19日、調査結果を国交省に報告。同省はリコール検討の姿勢が消極的だったり、同省に不適切な説明をしたりしたなどとして、口頭で厳重注意した。三菱自動車をめぐっては00年と04年にリコール隠しが発覚。これに絡み、同社や同社の元役員らが刑事処分を受けている。
 三菱自動車の話 事態を重く受け止め、検査に協力したい。再発防止の改善施策を実行していく。 

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私は、最初に乗った車が兄からもらった三菱車でした。
クーペタイプでやけにスピードが出る車だと思っていましたが、その後、三菱車に乗る機会もないまま、2002年のタイヤ脱落による死亡事故を知ることになり、大きな社会問題となった不具合隠しとタイムリーに向き合うことになります。

母子がタイヤに直撃され被害を受けたショッキングな事件でしたが、この事件は、確か会社側は遺族へ謝罪しましたが、刑事裁判では「無罪」を主張したという事件だったと記憶しています。民事でもなかなか和解しなかったために、会社側には反省の気持ちがないのではないかなどと言われた事件でした。
この事件は象徴的な事件でしたが、他の事故でも多くの方が犠牲になりました。

三菱自動車工業は1970年代から約30年間も10車種以上、約60万台にのぼるリコールにつながる不具合情報を旧運輸省(現・国土交通省)に報告しないで社内で隠蔽していたという事実が明らかになりました。このときも内部告発により事件が露見しています。

酷い対応をする企業です。
内情を知るにつれ、最低の会社だと思いましたし、社会の反発も相当なものでした。三菱自動車は潰れるだろうという見方をする人が多く、三菱グループ企業でさえも、支援するのに躊躇する意見が大勢に見えました。

人の命を何とも思っていないかのような三菱自動車の対応が露見するにつれ、私はそれ以降、三菱車だけは購入する気にはなれませんでした。

歴史ある名門企業の体質はそう変わるものでは無いと思います。
企業の最低限の守るべきラインを大きく踏み外しており、経営陣や幹部社員の総入れ替えを行わない限り、歴史のある企業が変わるのは難しいだろうと思いました。強烈な個性を持ったトップに変わることで、組織が変わることもありますが、、
トップから幹部まで、お客様の安全よりも、己の保身を第一に考え、正論が言えない嫌な雰囲気の組織だったのでしょう。こういう組織は、上層部を入れ替えないと、一般社員が可哀想です。もちろん、上層部にも立派な方もいらしたでしょうが、醜悪な流れを止めることもできなかった傍観者だったのであれば、とどまるのはどうかと思います。

関連会社を含めれば、働く人達も数多いので、更生法により再建するのが一番ではないかと思いましたが、、 


当時の空気を思い起こすために、ウィキペディアの略年表を転載してみました。

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1990年6月 - 大型車で確認できる最初のクラッチ系統の破損事故が発生。
1992年6月 - 大型車で最初のハブ破損事故が発生。
1996年5月 - クラッチ系統についてリコール対策会議が開かれる。欠陥を認識したが、リコールは届け出ず2000年にかけて「ヤミ改修」を続ける。
1999年6月 - 広島県内でバスのハブが破損し、車輪が脱落。
1999年7月 - 8月 - バスの車輪脱落で個別対策会議。旧運輸省に「整備不良」と報告することを決定。
2000年7月 - 三菱自のクレーム隠し事件が発覚、河添が社長職を辞任。このときの調査対象は過去2年間のみとしたため、それ以前の問題には手をつけられなかった。
2000年11月 - 河添の後任に同社の園部孝(そのべ たかし:故人、- 2003年10月29日)が社長に就任。園部は2002年6月から死去日まで会長職を務めた。
2002年1月10日 - 横浜市でハブ破損による母子死傷事故発生(前述)。
三菱自動車(当時)側はトラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
2002年1月 - 2月 - 母子死傷事故をめぐる「マルT対策本部会議」が技術的根拠もなく、ハブの交換基準を決定。
2002年 - 国交省にハブについて虚偽報告。
2002年10月16日 - 山口県熊毛町でクラッチ系統の破損でブレーキが利かなくなった冷蔵車が暴走し、運転手の男性が死亡(前述)。三菱自動車(当時)側はトラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
2002年10月16日 - 横浜市でトラクターのクラッチ系統が破損。国交省には「整備不良が関係。多発性なし」と報告。
2003年10月24日 - 母子死傷事故で、神奈川県警が業務上過失死傷容疑で三菱自動車の本社などを家宅捜査。2004年1月にも再捜査。
2004年3月11日 - 三菱ふそうの2度目のリコール隠しが発覚。
2004年5月27日 - 三菱ふそうの宇佐美前会長ら5人を神奈川県警が逮捕。同日横浜区検察庁横浜地方検察庁道路運送車両法違反(虚偽報告)などの罪で、5人を起訴。
2004年6月2日 - 三菱自動車が乗用車で「ヤミ改修」があったことを発表。延べ4000人以上を動員して1979年以降のデータを全て自主的に調査し、発表した。また三菱ふそうも大型車の欠陥問題で29人の処分を発表。
2004年6月10日 - 河添元社長を逮捕。
2004年6月14日 - 新たに43件のリコールを発表。国土交通省の欠陥リークを受けて、1週間後の14日に発表。この欠陥が原因の事故は、人身事故が24件、火災事故は101件。
2005年3月30日 - 三菱自動車は法人として、リコール隠し当時の旧経営陣に対し、一連の民事訴訟を提起。
2005年4月15日 - 前年9月届出のリコールに対する再リコールを発表。原因を解明できぬままリコールを実施したため、対策実施済み車に火災事故4件発生。加えて再リコールに先立つ緊急点検における作業手順の徹底不足による、2件の火災事故発生が明らかになる。

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前回の事件が2005年まで続いていたことになります。

2005年2月には、冒頭の不具合の隠蔽を行っていた訳です。つまり、隠蔽工作は今まで途切れることなく連続しているということになるのではないでしょうか。

三菱自動車へのグループ企業の支援は、三菱の体裁を守ることに向けられ、顧客を守ることと内部の醜悪さにメスを入れることはなかったようです。