憧れの地の大いなる幻滅(15)

マスコミ人は、B層文化の担い手であるB層の人達を、『マスメディアに踊らされやすい知的弱者』と定義づけています。

マスコミの胴元企業(D社)達のメンタリテイーについては、前回触れましたが、

憧れの地の大いなる幻滅(14)

ここでは角度を変えてみてみます。


彼らは、B層の人達の特徴を、こんな風にも描いています。

正当な価値判断ができないためにガイドブックにより行動したり、無知でありながらも自信を持っていて、自分の価値観で社会を解釈し、社会に押し通そうとする。また、無知であることに羞恥心をいだかず、素人であることに妙な自信を持っている。従来の専門家が行っていた領域に、素人の経験と知識とで乗り切ろうとする。ずぶの素人が社会や国を導こうとする。


前回触れたように、失礼なとは思いますが、痛いところを突いているなというところもあります。
民主党政権下の某大臣は、大臣管轄事項の事柄に素人で無知であることを利点であるかのように話していましたが、この他、ごく最近まで政治の世界でも上記の傾向が当てはまる例が少なくなかったように思います。

素人であることがプラスに作用する場合はあります。既成観念に毒されていない人が、新しい価値基準を押し立てる場合などですが、その場合には、確固とした方法論を持っている必要があります。しかし、件の大臣氏にはそのような気配が感じられませんでした。

既成の価値を転換させることも必要な場合もありますが、世の中には鍛えないことには使えない物があります。破壊すべき価値観でないものも多いのですが、その価値観を持つに至るには鍛錬が必要なのです。しかし、その鍛錬や苦労を厭うために、確固とした価値観を持たずに素人考えで政策決定をしたりしていたのが、ついこの間までの政権与党だったと思います。


また、企業の業務の中にもこうした傾向は垣間見られると思います。
若い世代の人達には感じにくいことかと思いますが、いわゆる職人技というものが企業の中から薄れてきており、技術の伝承が危うい場面が感じられるように思うことが少なくなくありません。
最近社会問題になっているヒューマンエラーの問題とも関係してくると思います。

例えば飲食業界やドラッグストアなどの量販店の大手では、そういった点を解消するのに、誰でも行えるマニュアル化、お客様への店員さんの紋切り型のセリフなどでの対応をしたりしています。
最初はお店側のお客様への表現に奇異と感じるところがあっても、いつのまにか麻痺してしまいます。
こうした紋切り型の対応は、例え社員に内容が伴っていなくても、ある一定の水準をクリアした、それらしいと通るように計算されているように思います。
アメリカのような異民族が多く、メルテイングポットなどと呼ばれる社会では、こうした共通基準の設定は意味を持ってくるでしょう。

しかし、私は不満に思うこともあります。
従前、社会を安心感をもって支えていたいろいろな場面において、技量がポロポロト抜け落ちてきているのが目につくように思うからです。
安心感をもって支えられていたというのが錯覚だったわけではないと思います。

一昔前、企業は一般社員のフォローアップ研修、能力アップ研修や、管理者が部下の能力を恣意的に判断しないように、評価者訓練を行ったりと、業務能力以外にも人格の陶冶や人間の本質論をも念頭に置いた、様々な研修・教育を行う企業も珍しくありませんでした。

しかし、現在では、一般に企業が標榜する実力主義というのが、既得権に甘んじる正社員と、派遣やパート労働者の待遇での差をつけることで、コスト競争力を高めていこうという流れに変容してしまっているように思います。
本当に社員の能力評価を正当に行おうとするには、企業は目先の収益にはダイレクトに反映するわけではない、間接コストをかける必要があります。
社員の能力評価を行うことは、評価者の能力も常にレベルアップをしていかなければ追いつかず、そのために支払うべき間接コストも、企業間競争のためには切り捨てている場合が多いのではないかと思います。
コストの高い熟練者を辞めさせて、代わりにコストの低い若年者を使ってコスト競争を勝ち抜こうとする、企業の様相も想起されます。


こうしたコストを下げることで、社員の能力は落ちているのですが、この落ち込みはボディーブローのようにジワジワとしたダメージとなります。この遅効性の見えにくい影響よりは、価格競争というインパクトのある即効性を狙った企業行動を取るようになり、デフレスパイラルに巻き込まれて一部の企業以外は、会社も社員も体力を消耗しつつあるように見えます。

社員にかけてきたコスト削減による企業の力の低下。
その結果の企業評価を、アメリカナイズされた経営理念では、サービスの力が落ちていると捉える指標が欠落しており、『能力=コスト』の喪失を、コスト削減として捉えてしまうために、供給コストを下げることに成功したとプラス面をスポットライトで照らしやすくなるように思います。
しかし、人の気持ちや感情の動きを忖度するようなソフト面の社会的サービスは低下しています。これは顧客志向と口先では言いますが、顧客のニーズも捉える力をも低下させていると言えます。
目に見えにくいこうした力が、あらゆる場面での企業のレベルアップに資していて、ここを切り捨てている企業の質は毀損されてはいないでしょうか。

社会的な力が落ちていると感じる原因がここにあるような気がします。