中国撤退の課金(2)

中国に進出している日本企業で争議を起こして、賠償金を取ったり、中国から撤退させて経済補償金を取ることを煽っている輩がいるようです。まさか、中国に進出した日本企業のコンサルが、裏の顔では中国側に入れ知恵しているという訳ではないでしょうが。

また進出先の地域環境整備まで要求されている日本企業も数多いそうです。

排水を流している河川の浄化などは分りますが、中には、日系企業のある場所とは全く関係ない山林への植林や農道の舗装、撤退する条件とされているケースなどもあるそうです。

環境汚染は日本も通ってきた道です。
日本では情報も無い中、試行錯誤しながら、公害問題と向き合ってきました。銅の鉱毒がどんな影響を及ぼすのか、鉛の被害がどんな残酷な事態を招くのか。

日本企業は環境汚染の歴史とともに歩んできたといえます。
古くは足尾銅山鉱毒被害等、数々の公害の歴史とともに、度合や姿勢は企業により差がありましたが、結果的に被害者と向き合い、環境技術を向上させてきました。
環境汚染ではありませんが、薬害の問題では、先進国で既に弊害が出ているのに、日本国内の対応が遅れて被害者を輩出してしまったことがありました。
企業は責任を回避しようとし、官も自分達の監督責任を回避しようとします。
不作為が司法の場で糺されるということもあり、被害者の方からしたら、満足いくものではないかもしれません。
しかし、不完全とは言いながら、企業活動が及ぼす社会への弊害に対しては、官・学・民で対応を取ってきたと言えるでしょう。


企業活動の社会への弊害については、先を走っている国・企業の事例が教科書になります。日本の水処理技術等は海外でも評価されています。日本の後を走っている国・企業は、日本の技術を取り入れて効果的な企業活動を行おうとします。

ところが、企業が及ぼす社会の弊害を抑えることは、コストアップになりますので、それを天秤にかけて利益を重視する国・企業もでてきます。

下記映像は、中国の環境汚染の映像です。
映像の事例総てが、中国のものではないかもしれませんが。

排水処理の技術が、どんなに大切なものか、害毒を流出させずに工場を稼働するにはどうしたら良いか。
こうした学びは、現在では、情報も豊富ですし、中国でも、やる気になればいくらでも協力してくれる企業はあるでしょう。
日本の主要都市に照準を合わせた核ミサイルを設置しているようですし、また、衛星を飛ばせる技術力等もありますので、その技術力によれば、その気にさえなれば造作もないことのように思えます。

この映像を見ると、中国の富は、中国の国民の健康を犠牲にした上に築かれているということが分ります。
中国共産党の締め付けが緩まれば、人口は一挙に爆発したように増えていくことでしょう。その先には世界の食糧不足が垣間見えてきます。
公害の未対応や核実験による異民族への健康被害、民族の殺戮等が、人口問題の解決の一つとでも考えているのでしょうか。

人間に及ぼす影響やデータ・対応策等を、既に経験した国は、現実に経験しつつある国に開示することが必要ですし、他方、当該国は試行錯誤するという余分なコストを負担する必要がないわけですから、効果的な処置を取って周辺の住民の身の安全を守ってもらいたいものです。


http://www.youtube.com/watch?v=jJX-T22PJFo&feature=fvwrel
(心臓の弱い方はご覧にならないでください)

環境汚染を経験してきた日本企業が、このような環境汚染を行っているとは思えませんが、中国は日系企業からは取れるだけ取ろうというのでしょう。


欧米企業には、経済補償金等の負担などの不利な条件がないため、中国からどんどん撤退しだしているようですが、日本企業はしっかりと絡められて、逃げられなくなっているようです。

中小企業でしたら、会社を潰して夜逃げもできるでしょうが、大企業は日本に逃げ帰っても訴訟を起こされれば、逃げようがありません。
日本の裁判所は外圧に弱いようですので、日本企業の利益を守るよりは、中国に嫌われないような態度に終始するのでしょうか。

日本人の中国に対する反感を煽ることになりますので、マスコミはこういう問題を積極的に報道するわけにはいかないのでしょうが、
以前から密室内で中国共産党接触してきた経団連は、ソフトランディングできるような交渉を中国と行うことができるのでしょうか。

いずれにしても、こうした問題が起きるのは、経済界の節操のなさと、政府外務省の不作為、政治の背骨の溶融、マスコミにいいように操作されている国民、等々、、それぞれに自覚と自立意識がないことが大きいと思いますが、その精神を養うべき教育界が、日本の文化や歴史を正当な扱いをせずに、自国の国益を考えることが罪悪であるかのような精神を涵養してくれていますので、日本が独立国でいられるのもどれくらいのものかなどと寂しい思いに駆られてしまいます。