三菱車リコールに関して

自社の社会的価値が貶められるような事実を把握した時に、それをひた隠しにしようという行動原理の企業は少なくないと思います。
また、その事実が露わになったにしても、責任を転嫁しようとする余り、本来もっとも重要視すべき顧客の立場をないがしろにして、自分達の利益を保全しようと見苦しい姿をさらけ出すことがあります。


耐震偽装が社会を揺るがしていた頃、国土交通省が全国の中高層マンションを対象にして、無作為抽出を行い耐震強度を調査したことがありました。

その調査の結果、静岡市駿河区で2003年に完成した分譲マンション(RC10階建て:全36戸)の、耐震強度不足が判明したという事件がありました。
耐震強度が、建築基準法の定める基準の1を下回っていたのです。
国土交通省によりますと、最弱部分で0.68だったそうです。

構造設計を担当した駿河区建築士が、計算途中で基準を満たさない構造計算書を提出し、市はこのミスを見逃して、2002年5月に建築確認をおろして、2003年3月にマンションは竣工したというものです。

事業主は勿論その事実を知らず、無作為抽出調査の結果で耐震強度不足が判明(2007年)したものでした。
しかし、窮地に陥った事業主の対応は素早いものでした。補強工事では、柱を太くするなどで住居部分での居住性を損なうことになりますので、このマンションの区分所有者から販売時の価格で全戸を買い取った上、取り壊す方針を同年正式発表しました。
このマンションの総販売価額(土地含む)は9億9700万円だったそうです。

その後、事業主は、構造計算を行った設計会社2社や、施工会社、建築確認を行った市などに、強度不足を見落としたとして、約10億円の賠償を求めました。(2007年12月)

静岡地裁では、設計会社2社側に約9億6000万円、市に対して、その内の約6億7000万円を連帯して支払うよう命じました。(2012年12月)
足立哲裁判長は「容易にできる数値の確認を怠った」と市の過失を指摘しましたが、施行会社の三井住友建設(株)は責任を問われませんでした。


この時の事業会社の住民に対する対応の早さは特筆すべきもののように思いました。
全戸買い戻して、取り壊すという決定を聞いて、このマンションの住民以外の人達も、この会社へ信頼感を寄せることになりました。

責任は設計会社にあるなどと言って、事業主が逃げの姿勢をみせることなく、住民の方達と真正面に向き合い、対応を取りました。

この会社は他の地域でもマンション分譲や戸建ての販売を行っています。
顧客は、どうせ買うなら、売りっぱなしでなく、後から責任を持ってくれるこの会社が良い、という考えを抱くようになったのです。
この事件で、事業主の企業イメージは高まることとなりました。


これが、事業主が住人の不安に目を向けずに、自社の保身や利益にのみ拘泥している会社でしたら、どういうやりとりになるでしょうか。

事業主が住民の求めになかなか応じず、それでも何度か住民説明会を開催した場でも、のらりくらりと責任を回避するような発言で、いっこうに話が前に進みません。

住民側もそれぞれ世代も異なり、利害も微妙に食い違い、意見がなかなかまとまりません。
訴訟を起そうとするにも足並みが揃いません。

区分所有者の中には、静岡市内にある旧耐震基準の古い既存のビルやマンションの中には、当該マンションよりも耐震強度が弱いものがあるのが現実であるから、このマンションだけ取り壊しを行うというのは矛盾した行為である。
自分達は、あと長く生きられないので、ここでこのまま暮らしたい、などという方もいたりして、事業主に対して何を求めるべきか、建て替えを求めるのか、耐震補強工事と損害賠償を求めるのか、買取りを求めるのか、等々でも焦点が定まりません。

それでも、次年度の管理組合の理事長はじめ役員さん達が精力的に動いて、臨時総会で訴訟を起す手続きを議案にして承認を図る段階までこぎつけました。弁護士費用を管理費や修繕積立金等の繰越金で賄うのは無駄ではないかなどという方もいて、承認されるかどうかは予断を許しません。・・・
等々、手続きを踏んでいくだけでも、一苦労です。

更に、現実に訴訟を起すことが可決されれば、管理組合の役員さん達は訴訟手続きの資料を弁護士さんに用意したりすることだけでも、大変な労力となります。
相手が三菱自動車のような会社であれば、役員さん達は事業主と、区分所有者や住民との間で神経を消耗することになります。

何せ、2002年に発生した、脱落したタイヤが母子を襲った死亡事故の際には、確か、三菱自動車は遺族へ謝罪はしたものの、刑事裁判では「無罪」を主張するという、CSを重視するどころか、人の命よりは自社の保身と利益を追求する会社であることを公にしたものでした。
民事でもなかなか和解しようとせずに、会社側には反省の気持ちがみられず、稀に見る悪質な企業だということを社会に示したものと思います。

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平成16年の6月には、社内を横断する品質統括や企業の社会的責任(CSR)の専門部署を設置。「お客さま第一に生まれ変わり、他社をリードして品質問題に力を入れている」(三菱自動車社幹部)との自負もあった。それだけに、「やみくもにリコールを届け出るのではなく原因究明を行い、きちんとした形で報告する」(同)形式にこだわった。

 しびれを切らした国交省からリコール届け出を促されたが、社内の専門部署が下した「リコール不要」との判断もあり、結果的に後手後手の対応になってしまったという。こうした事情について、
三菱自側は「意図的な虚偽報告ではなく、リコールの届け出が遅れた」と釈明する。

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これが2002年に発生した死亡事故を端緒とする、構造上の欠陥隠しを経て会社的に反省した上での対応なのです。
管轄官庁の国交省に、調査結果を偽って、実態とは異なった不適切な説明をする企業です。
やみくもにリコールを届け出るのではなく原因究明を行い、きちんとした形で報告する形式にこだわっているこの企業は、究明した原因を偽った報告をするわけですから、放っておいたら、いつまでたってもリコールの届出などしないのでしょうね。
結局人命が損なわれた際に、やっと重い腰を上げようとするのでしょう。


静岡の分譲マンションの耐震強度不足の場合は、
自社の事業が瑕疵を招いたとはいえ、直接の原因は他社にあったわけですので、割り切って対応を取りやすかったと言えるかもしれません。

片や三菱自動車のリコールの場合は、その原因が自社の技術にあることから、公表しようとすることを躊躇する力はより大きいとも思います。


しかし、下記行為を行ったのが三菱自動車でなく、同程度の販売台数の規模の別な会社だったら、財閥系でない別企業だったら存続していたでしょうか。

国は、下記の行為を行った企業に、存続すべき社会的な価値を認めたわけです。



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1990年6月 - 大型車で確認できる最初のクラッチ系統の破損事故が発生。
1992年6月 - 大型車で最初のハブ破損事故が発生。
1996年5月 - クラッチ系統についてリコール対策会議が開かれる。欠陥を認識したが、リコールは届け出ず2000年にかけて「ヤミ改修」を続ける。
1999年6月 - 広島県内でバスのハブが破損し、車輪が脱落。
1999年7月 - 8月 - バスの車輪脱落で個別対策会議。運輸省に「整備不良」と報告することを決定。
2000年7月 - リコール隠しが発覚、河添社長が引責辞任。このときの調査対象を過去2年間のみとしたため、それ以前の問題に手が付けられることは無かった。
2000年11月 - 河添の後任に園部孝(故人、- 2003年10月29日)が就任。園部は2002年6月から死去日まで会長職を務めた。
2002年1月10日 - 横浜市でハブ破損による母子死傷事故発生(前述)。三菱自工側はトラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
2002年1月 - 2月 - 母子死傷事故をめぐる「マルT対策本部会議」が技術的根拠もなく、ハブの交換基準を決定。
2002年 - 国交省にハブについて虚偽報告。
2002年10月16日 - 山口県熊毛町でクラッチ系統の破損でブレーキが利かなくなった冷蔵車が暴走し、運転手の男性が死亡(前述)。三菱自工側は、トラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
2002年10月16日 - 横浜市でトラクターのクラッチ系統が破損。国交省には「整備不良が関係。多発性なし」と報告。
2003年10月24日 - 母子死傷事故で、神奈川県警が業務上過失致死傷容疑で三菱自工本社などを家宅捜査。2004年1月にも再捜査。
2004年3月11日 - 三菱ふそうの2度目のリコール隠しが発覚。
2004年5月6日 - 三菱ふそうの宇佐美前会長ら5人を神奈川県警が逮捕。
2004年5月27日 - 横浜区検察庁横浜地方検察庁道路運送車両法違反(虚偽報告)などの罪で、6日に逮捕された5人を起訴。
2004年6月2日 - 三菱自工が乗用車で「ヤミ改修」があったことを発表。延べ4,000人以上を動員して1979年以降のデータを全て自主的に調査し、発表した。また三菱ふそうも大型車の欠陥問題で29人の処分を発表。
2004年6月10日 - 三菱自工の河添元社長を逮捕。
2004年6月14日 - 新たに43件のリコールを発表。国土交通省への欠陥リークを受けて、1週間後の14日に発表。この欠陥が原因の事故は、人身事故が24件、火災事故は101件。
2005年2月4日 - 軽自動車のエンジンオイル漏れの不具合が発生。
2005年3月30日 - 三菱自工は法人として、リコール隠し当時の旧経営陣に対し、民事訴訟を提起。
2005年4月15日 - 前年9月届出のリコールに対する再リコールを発表。原因を解明できぬままリコールを実施したため、対策実施済み車に火災事故が4件発生。加えて再リコールに先立つ緊急点検における作業手順の徹底不足による、2件の火災事故発生が明らかになる。
2008年1月28日 - 社内の市場措置検討会でオイル漏れ事象に対し措置不要の方針を決定。
2009年10月14日 - 国土交通省ヒアリングでオイル漏れに対し市場措置を実施すべきと指導受ける。
2009年12月3日 - 国土交通省より再度市場措置実施の指導を受ける。
2010年11月11日 - オイル漏れに対する最初のリコールを届出。
2012年1月26日 - オイル漏れに対する2回目のリコールを届出。
2012年3月6日 - オイル漏れに対する3回目のリコールを届出。
2012年12月19日 - オイル漏れに対する4回目のリコールを届出。
2012年12月19日 - リコールへの対応が消極的であったとして国土交通省より口頭で厳重注意処分。
2012年12月25日 - 国土交通省より道路運送車両法に基づいて三菱自動車本社、岡崎市の品質統括本部等9箇所に立ち入り調査。


ウィキペデイア:三菱リコール隠しより引用)