鈍痛のような、これって幸せ?

今日のプライムニュースに、コマツの坂根会長が出演されていました。

坂根氏は、2001年に、コマツ創立以来初の赤字800億円計上という厳しい時期に社長に就任しますが、構造改革の断行により2003年3月期には約330億円の営業黒字というV字回復を達成しました。
欧米以外にも、中国、東南アジア、インド、アフリカなどの新興国にグローバル展開を進め、2007年度は1700億円の経常利益を、2009年3月期には売上高を2兆円とし、世界第2位の建設機械メーカーへと導きました。

コマツの坂根会長がコマツアメリカの社長だった時の話が含蓄のあるものでした。
アメリカの6工場でのリストラを行ったそうですが、そのうちの1社はもともとコマツの工場だったもので、あとは他社から買収した工場だったそうです。

需要減のため人員が過剰になる中を、もともとのコマツの工場では、日本的な雇用慣行で乗り切ろうとしたそうです。仕事が減っても、過剰人員に対して首は切らずに均等に休ませて、ワークシェアリングを行い、乗り切ったとのこと。従業員のなかには不満を漏らす者もいたそうですが、その流儀で推し進めたといいます。

他の工場は、ユニオンがアメリカの雇用慣行を厳密に行い、レイオフで対応したとのこと。

さて、首を切らずに日本的慣行で対処した工場の従業員達は、その後も大変士気が上がったそうで、その時は坂根氏は満足に思ったそうです。
人事面での対応が、経営においてよい結果をだして成功した事例と言えるでしょう。

しかし、今度は活況になり、既存の設備・人員では仕事をこなせなくなるようになりました。

不況の時にレイオフで乗り切った工場は、増員して業容の拡大を行い、仕事の増加をこなして会社に貢献しました。しかし、もとからのコマツの工場で、日本的雇用慣行を行っていた工場は、業界が活況に沸き、仕事がどんどん増えているというのに、自分達の立場だけを考えて、仕事の流儀を頑なに守り、仕事を増やそうとしなかったということです。
つまり、現有勢力でこなせる仕事量しかやらなかったのです。

この工場では、仕事が増えたからといって、それに応じて人員の増強を行うと、今度は仕事が減った時に減員をしなければならないからです。お互いに休みを増やして、各人が稼働率75%に仕事を抑えてワークシェアリングを行うことは我慢できても、人員が2倍になり、仕事が減った時に各人が稼働率45%、35%と仕事を抑えて雇用を守るのは無理があるでしょうから。

ユニオンのある工場では、レイオフという制度が雇用の調整弁になっています。経営にとってより都合の良い制度と言えます。
しかし、日本的な人事の慣行では、考え方・制度が硬直化してしまい、経営の足を引っ張ることになり、社員の報酬増という方向の足枷になったと言えるでしょう。
坂根氏は、ここを問題提起したのです。

しかし、キャスターの反町氏が心憎い質問をされていました。
その工場の従業員は幸せだったのではないかというものです。

その質問の答えには、文字通りのその質問の答えと、そこからインスパイアされたある考えとの2つが、反町氏と坂根会長の頭には浮かんでいました。

恐らくユニオンを経験しつつ経営を真剣に考えてきた人達も、この2つのことに頭を悩ませてきた筈です。

日本が閉鎖空間の中で不自由だが冒険しないことで得られる「幸せ」の領域から、外へ出られずに、結局は死へと近づいていくぬるま湯的「幸せ」の中に浸かってしまっているということ。

日本の社会は、この種の「幸せ」に慣れてしまっているようです。
仕事がなくなり倒産の憂き目を見るようなデフレの環境が、まるでぬるま湯につかっている心地良さであり、閉塞感でなく幸福感を感じているカエルのようになっているような気もします。


さて、ともすれば守りに入りたがる日本社会に坂根社長からの提言は、

攻撃は最大の防御なり
もっと自信を持とう!!

TPPへの日本の対応等、当てはまることは、いろいろありそうです。