ゆとり教育から、学んだものは

一昨日の産経新聞曽野綾子氏のコラムで、寺脇研氏の名前がありました。
この方、現在京都造形芸術大学芸術学部教授だそうです。寺脇氏は有名人で文科省とのパイプの強い実力者でしょうから、大学が迎え入れれば何かと都合が良いこともあるのでしょう。日本の大学の懐の広さというべきでしょうか

寺脇氏はゆとり教育の元凶と戦犯扱いされることが多いですが、当時の文部省でいかに力を持っていたにしても、実力官僚一人の責任にするのもおかしなことです。最終的に自民党も方向性を支持したわけです。時代の空気のある一面に乗っかったということもあったでしょうが、政治家達も不明を恥じるべきとは言わないまでも、思慮が足りなかったことや画一的な価値観による教育行政に対して、教育への思いを深めてほしいと思います。

ゆとり教育の指針が明らかになるにつれ、自分の周りでは時代錯誤の教育指針ではないかという意見が多かったのを覚えています。『今の時代に、これかよ!』といった空気でした。

スーパー官僚の能力の高さと、そのハードな仕事振りはある程度理解していたつもりですが、ゆとり教育が出てきたのをみて、激しい受験競争に打ち勝ってきた偏差値教育の秀才達は、勉強を楽しんでいなかったのだなと思いました。
学生時代から時を経て、社会人として年齢を重ねて、いまだに受験競争の影響を重く引きずっている、というか、いまだに影響を受けているということなのだろうと思います。

彼らは、日々の勉強の結果で偏差値を上げるという成績発表には楽しみを感じていたかもしれませんが、学問の楽しみ・深みを探求したいという知への欲求、学問への渇望を感じるということはなかったのでしょう。否、あったかもしれませんが、その底なし沼のような深みに入ってしまうと、良い高校、良い大学、高級官僚のコースには乗れないという意識の方が強かったことでしょう。
勉強は熱心にしても、学問へのあくなき欲求には蓋をせざるを得なかった。蓋をして、子供達が上述の方向へ向かうように、餌付けをしているのが、その当時、その渦中にあった彼らが受けた教育の実態だったのでしょう。

もちろん、勉強の過程には、習うより慣れろという時期はあります。方法論を身につけずに学ぶことは非効率ですし、ある程度の慣れの学習方法は必要です。方法論を持たない人が既成の方法論を会得しないことには、それを壊して新しい方法論を確立するということも難しいでしょう。
デフォルメを特徴とする画家の展示会を見に行くと、著名な絵画と共に、いくつもの習作や緻密なデッサンが展示されていたりします。既成の秩序を越えた(変えた)画家は、既成の方法論を懸命に習得しています。

学問にも技能が重要な場面もあります。しかし、日本の教育はどこまでいっても習うより慣れろ的な教育体制のように思います。中には、学問への渇望から途中で立ち止まる子供もいます。そういう子供は、取り残されやすく、いったんドロップアウトしたかのように受け止められる場合が出てきます。
しかし、ドロップアウトしたかのような子供が地道な研究を重ねた末に、世界的な研究成果を上げる場合があります。


日本の一元的な教育への価値観を変えていくのは、日本の社会の価値観の変更でもあります。時間と労力、コンセンサス等難しいことが多いとは思いますが、単線でなく、いくつもの枝分かれした過程を子供達の興味や希望、また適性などから辿れるような道を造っていくことが必要と思います。

そうした、抜本的な問題解決には手をつけず、ゆとり教育へと舵を切ったのは、安易ではなかったのか、とか、だれも反対する人はいなかったのかな、などと思うのですが、、、こういう言い方は後出しジャンケンみたいで厭味かもしれませんが、、、
実力官僚の意見がそのまま政策決定されてしまうというのは、それ以前に、教育に対しての真摯な議論が交わされていたのだろうかと、国の重要な問題を吟味する機能にも不安を覚えます。
いずれにしても、ゆとり教育は、社会的に大きなロスを招いたのではないでしょうか。


さて、曽野氏が産経新聞のコラムで寺脇氏を批判しているのは、

安倍首相が、教育再生実行会議の際に、「強い日本を取り戻すため、教育再生は不可欠だ」との発言に対して、寺脇氏の毎日新聞での発言に対してです。

曽野氏は、
「『世界の一等国でありたい、それがダメでもせめてアジアで一番でいたい』ということでしょう。」との寺脇氏の発言をあげて、それはあまりにも子供じみた解釈だろうと批判しています。

曽野氏の引用文を読んで、寺脇氏はゆとり教育を推し進めていった頃の思考パターンと全く変わっていないのだなと思いました。
スーパー官僚は仕事が多忙すぎて、自分が直面する細かなことには詳しいのでしょうが、社会や海外の一般情勢に、もしかしたら疎くなってしまうのかもしれません。(歴史観も一昔前、二昔前の左翼的史観のままのようです)

同じ毎日の紙面では、寺脇氏の他に、安倍氏の批判要員として、東大の本田由紀教授(教育社会学)の談話を載せています。
本田教授は「安倍首相が『取り戻し』たいのは、彼の思い描く『美しい国』。国民が皆、私の思うような人間になってくれればそうなるはずだ、という思い込みが、彼を教育再生へと駆り立てているように見えます」と批判しています。

この批判も、曽野氏の表現を借りれば、あまりにも子供じみた解釈だろうと、思えます。
この批判も批判するために取ってつけたような発言で、本田教授の「思い込み」の推測的発言でしかありません。何が問題で、どうすべきという建設的な考えが盛り込めておらず、批判になっていません。これでは愚痴のレベルに聞こえてしまいます。

本田教授の発言を、安倍首相の教育行政への批判にしたいのであれば、毎日の記者は、安倍首相の教育への考え方のどこが問題で、安倍首相のやり方では、どういう弊害が出てくるのか。その問題解決にはこういう施策を行うべきではないかという、代替案なりを引き出すような質問をする必要があるでしょう。
毎日は安倍下ろしをしたいのでしょうが、上記の記事では、逆に本田教授のレベルを貶めるような効果になっているように思います。


多分、安倍氏の教育改革の考えは、批判しようのない内容のため、具体的にここがおかしい、そのためこうすべきという提言ができないのでしょう。それゆえ、安倍氏の発言の動機を勘繰って文句を言うという形にならざるを得ないのでしょう。
前安倍政権時代にマスコミが頻繁に仕掛けた、一種のネガティブキャンペーン記事の類ですが、このように、大マスコミが本質論で議論を戦わせずに、些細なことで足元をすくったり、発言の趣旨を歪曲させて伝える報道をしたりすることが、政策の本質論議が進まなかったり、いざ政策決定しても後から文句を言ったりして協力しない、といった、この国の後ろ向きな欠陥の元凶になっているように思います。



曽野氏が引用している、毎日新聞の後ろ向きな記事を下記に転載します。
毎日も時代が見えてないのでしょう。

前安倍政権時は、朝日や毎日などの大手マスコミが安倍氏を引きずり下ろすのに大きな力を発揮した筈ですが、突然の辞任などと、安倍首相辞任に関して、我関せずのような、書き方をしているのもおかしなところです。

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特集ワイド:安倍首相の「後ろ向き」教育改革
毎日新聞 2013年02月12日 東京夕刊

【注】:『前文は写真の説明です』

教育再生実行会議担当室」の看板を掲げ、意気込む安倍晋三首相(右)。中央は下村博文文部科学相、左は義家弘介文科政務官=東京都千代田区文科省で2013年1月15日(代表撮影)
拡大写真 安倍晋三首相肝煎りの「教育再生実行会議」(座長・鎌田薫早大総長)がスタートした。いじめ、体罰問題をはじめ、教育委員会制度や大学入試改革にも取り組む方針だ。「取り戻す」の安倍首相、教育でいったい何を取り戻そうとしているのか。2人の識者に話を聞いた。【小国綾子】

 ◇強い日本を志向した結果が戦争であり、エコノミックアニマルだった。同じ道を歩むのか。 寺脇研・京都造形芸大教授

 ◇道徳名目に画一的な人物像押しつける。多様性、主体性を尊重しないと、社会の活力が生み出されない。 本田由紀・東大教授

 安倍首相は教育改革を「経済再生と並ぶ最重要課題」に挙げるほど、教育へのこだわりは強い。06年の第1次内閣時は発足1カ月後にトップダウン教育再生会議を設置。「愛国心」条項を盛り込んだ改正教育基本法を成立させたほか、「ゆとり教育」脱却を進めた。会議では「学校週5日制」見直しや「徳育」の教科化などが話し合われたが、最終報告書提出前に首相が突然の辞任。多くの提言は実現しないままとなった。

 だからだろう、安倍首相は今回復活させた会議の名称に「実行」の2文字を加えた。再チャレンジへの思いがにじむ。メンバーは作家の曽野綾子さん、八木秀次・高崎経済大教授ら保守系論客が目立つ。その初会合で、安倍首相は「強い日本を取り戻すため、教育再生は不可欠だ」とぶち上げた。

 「強い日本」って何?

 「『世界の一等国でありたい、それがダメでもせめてアジアで一番でいたい』ということでしょう。明治時代からの日本の願望です」。元文部科学省官僚の寺脇研・京都造形芸術大芸術学部教授はそう語る。「富国強兵時代、あるいは高度成長期の教育という印象です。けれど、世界の大国になろうとして無理をした結果が戦争であり、エコノミックアニマルだった。また同じ道を歩むのか」。「ゆとり教育」のスポークスマン、“ミスター文部省”と呼ばれた寺脇さんの目には時代錯誤と映る。

 一方、東大の本田由紀教授(教育社会学)は「安倍首相が『取り戻し』たいのは、彼の思い描く『美しい国』。国民が皆、私の思うような人間になってくれればそうなるはずだ、という思い込みが、彼を教育再生へと駆り立てているように見えます」と批判する。

 前回の教育再生会議は「道徳」から「徳育」への名称変更とともに、成績評価の対象とする教科化を提案したが、文科省内などに反発が強く実現しなかった。今回、安倍政権は、民主党政権事業仕分けで予算が削られ、配布が取りやめられていた道徳の副教材「心のノート」を復活させるため、8億円を来年度予算案に盛り込んだ。