カンボジアの話

先日、タイとカンボジアを廻ってきた知人に話を聞く機会がありました。

以前、東南アジアに進出したがっている会社の社長のことを記したことがありましたが、その会社の社員で、社命による市場調査等を目的とした旅行です。
JETROなどの協賛しているツアーだったそうです。

カンボジアというと、大変な内戦を経て、クメール・ルージュの支配により多くの虐殺された人々が出るという、不幸な歴史を持った国という程度の知識しか自分にはありませんので、現在のカンボジアの情報は興味のあるものでした。


カンボジアは、もともとメコン川やその支流などの豊かな水に恵まれた豊穣の地域でしたが、隣国ベトナムの戦争の影響もあり、国土が破壊されるや、その後強勢を誇ることになるポルポト政権による粛清が行われ、都市部のインテリアは虐殺され、歴史ある遺産も破壊されたりと大きなダメージを受けます。

ポルポト派の残酷な施策は、毛沢東文化大革命を真似たものだそうで、そう言われれば、文明や知識人の抹殺という面でも、なるほどと思わせる説得力がありますが、ここまで残虐になれるというのには違和感を感じます。
私は、民族・歴史・文明と暴力性とは相関関係があるのではないかと思っていますので、クメール・ルージュの民族的な系譜等、調べてみたいと思いました。

カンボジアの食糧生産は1969年には耕作面積249万ヘクタール。米23万トンを輸出していた食料輸出国でしたが、1974年には耕作面積が5万ヘクタールに激減し、28万2000トンの米を輸入するようになったそうです。

この数字から、アメリカの爆撃などの影響で、国土がいかに荒廃したかがわかります。
しかも、米の値段は1971年から4年後の1975年には34倍にまで高騰したそうです。

ベトナムアメリカ、中国やソ連、また国連などの影響に翻弄され、複雑な経過を辿っていくことになります。気の毒にとしか言いようがありません。

私は、この間の出来事を映像作品にした『キリングフイールド』の試写会に行った時の衝撃を未だに覚えています。
ピューリッツァー賞を受賞した、シドニー・シャンバーグの体験に基づく実話の映画化だそうですが、日本では1985年に公開されました。前年にアカデミー賞3部門を受賞した作品ですが、日本では地味すぎるのかマスコミが報道したくなかったのか、報道関係の人達以外には、あまり話題にならなかったように思います。
ストーリーとしての映画の構成も実に素晴らしいものでしたが、その物語に引き込まれ、息つく間もない展開に圧倒されました。
映画館から出た後にも、こんな事件が、現実に起きているのだと思うと、何ともいえない気持ちでした。その時点でポルポト派は、まだタイ国境周辺で暗躍していたのです。


知人も、この映画は見たそうですが、この映画を見てカンボジアに興味を持った御殿場出身の青年がいたと、話してくれました。
青年は、大学4年生の時に、NGOのボランティアとして、ポル・ポト政権時代の避難民を帰還させるプロジェクトに参加したそうです。
青年は、やがて地雷が取り除かれていない土地を借りて、そこで胡椒の生産を行うようになりました。
現在、世界の胡椒の多くはベトナム産ということですが、以前はカンボジア産の胡椒が多かったそうです。カンボジアは700年もの栽培の歴史があるそうですが、その伝統的な栽培技術が、ポルポト政権によって根絶やしにされてしまったそうです。
カンボジアへの貢献をずっと考えていた青年は、以前のように世界最高級の胡椒をカンボジアで生産することで、この国に貢献しようと考えました。
1997年に有機栽培にこだわった、安心・安全で最高級の胡椒を作ろうと栽培を始めました。
クラタペッパー社長の倉田浩伸さんによる胡椒は、胡椒の最大消費国のドイツで、超高級品として知られるようになったそうです。

カンボジアでの日本人の活動は、内戦の際に埋められた地雷の除去等に貢献をしてきたのは良く知られています。

また、UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)による1993年のカンボジア総選挙の際に、選挙監視員として活動していた中田 厚仁さんが射殺されたという事件もありました。(この後、文民警察官として職務についていた高田晴行さんも殺されました)
こうした報道くらいで、日本人の活躍ぶりを耳にする機会はないので、こうした話題は新鮮に感じます。(クラタペッパーは楽天などでも扱っているそうですので、自分が知らないだけかもしれませんが)


また、日本人の女の子が、アンコールワットを形取ったクッキーを作り、お土産物として売り出したら大当たりをして、売れに売れているそうです。
今では、年間2億円ほどの売上になっているそうですが、カンボジアには他にお土産らしいものがないそうです。
カンボジアといえば、アンコールワット。このアンコールワットの形をしたクッキーということで、旅行者が帰りに何箱も買い求めるそうです。何てことないクッキーだそうですが、他に買い求めるものがないので、特に日本人が大量にお土産として買うそうです。
このクッキー、日本人のキメ細やかさの一つと言われる、個別包装だそうです。
(知人は、しょうもないクッキーと表現していました。ネットで調べると上品な商品のように見えます。リベートの比率が随分高いような記述もありますが、観光地のお店にはありがちなのでしょうね)

とにかくお土産物がないので、日本のノウハウがあればいろいろな仕事ができるだろうとのこと。現地の雇用にも貢献できることでしょう。


また、食事の後の飲み屋がないので、一昔前の日本のパブやスナックバーのようなお店でも受け入れられるだろうとのことでした。
日本が辿ってきた過去のモデルがある程度通用すると思えるので、駐在員や旅行者向けに良いかもしれないね、などと、下世話なビジネスモデルの話になりました。


IMFデータでは、2011年のカンボジアGDPは128億ドルで、鳥取県のおよそ2分の1の経済規模だそうです。一人当たりのGDPは851ドルで、世界平均の10%に満たない水準。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は828万人と推定されており、国民の半数を超えているそうです。〔ウイキペデイアより〕

当然人件費は安いため、中国、韓国企業がたくさん進出して、安い労働力を使い、カンボジア社会に根を張りつつあるようです。
カンボジアの人口は千五百万人程度です。しかも、人口構成比のピラミッドは途中が抉られたような形になります。哀しいことです。ポルポト派による虐殺があったからです。