軽い言葉、重い言葉

 
先日の新聞に興味ある記事がありました〔産経新聞 3月11日(月)〕

5日の参院本会議での代表質問の際に、民主党参院議員会長、輿石東(こしいし・あずま)氏が震災復興に関して、安倍晋三総理に質問をしたそうですが、

その時の質疑は、人間学という言葉を彷彿させるものに感じました。

輿石氏は、スキャンダルで辞任した安倍政権の前国交・復興政務官の話題から始め、「被災者にどう説明するのか」とただしたというのです。

質問したくても、質問できない議員がたくさんいるなかで、国費をいただく議員さんは自分の発言の質・重みをよくよく考えてもらいたいと思います。


安倍氏は輿石氏の質問に対して、こう答えたそうです。

「政局に明け暮れていると思われかねない永田町目線での言葉のやり取りより、被災者の目線で目に見える復興という結果を出し、被災者の理解を得ていく」

咄嗟に、こういう言葉が出てくる安倍氏の精神性の深さに、私は感服しました。

政治家の言葉が、一般人のそれよりもレベルが低く、軽くなってきているのが久しいと感じていますが、安倍政権の主要閣僚にも安倍氏同様に精神性に共鳴する人がいます。
元々の人選の問題もあるでしょうが、トップによって組織も変わるものだなとも思います。

以前は、安岡正篤先生のもとを政治家が教えを乞うために訪れ、心に沁みる言葉、人を動かす魂を磨いていたという時代がありましたが、現代では、発する言葉を磨きに磨いたといった痕跡を、政治家の言葉に見出すことは難しくなりました。


話は変わって、外務省が7日に、外交記録文書ファイル72冊を、都内の外交史料館で公開した、という記事がありました。
その中の記録の一例として、
新聞では、1971年の昭和天皇訪欧時に米アラスカ州に立ち寄った際のことを取り上げています。

昭和天皇香淳皇后が71年9月27日から10月14日までの日程で欧州7カ国を歴訪された際に、日本側は事前の調整で、米アラスカ州のアンカレジで休養する日程をセット。
同年2月23日、愛知揆一外相は「州政府などによる接遇は何ら期待しておらず、むしろ遠慮したい」との公電をアンカレジ総領事館に送ったそうです。

むむっ!、何か喧嘩腰!という感じですが、

当時の背景は、日米繊維交渉が難航している時期でもあり、また、日本の頭越しにニクソン大統領の電撃訪中発表(7月15日)を行うなど、日米関係がぎくしゃくしていた時期です。
日本のまともな政治家は怒り心頭だったことでしょう。


ところが、ジョンソン米国務次官は同年8月5日、牛場信彦駐米大使に「大統領は自ら出迎えたいと希望している」と伝達したといいます。牛場氏も「日米友好関係増進のため極めて時宜に適したものだ」と応じ、会談の実現を日本政府に働き掛けたとのこと。
また、米側はニクソン大統領との「首脳」会談を要請。

日本政府は、昭和天皇に政治色を帯びさせてはならないと考えていましたが、昭和天皇ニクソン大統領と会談されることに。

日本側は天皇の政治利用ともとれる動きに不快感を示し、当時の福田赳夫外相が「非常識な提案は迷惑千万」と反発していたことが明らかになった、と記しています。

終戦後、日本は一貫してアメリカの属国であるかのような言われ方をする場合がありますが、強国との力のバランスを量りながらも、自分達の立場を主張していたことが見て取れます。
以前報道された核の持ち込みに関する通信記録などでは、世論との板挟みで孤独な決断をせざるを得なかった為政者の息遣いが聞こえるような・・・早死にするのもわかる気がします。