震災の件と地方分権への危惧

東日本大震災より2年が経過して、今尚31万5千人以上の方々が避難生活を送られているという事実は、震災の大きさへの認識を今更ながらに強くします。

これをもって、第三者が政府や自治体の対応の遅さを責めるのは、その批判の姿勢・内容によっては傍観者然として聞き苦しい気がします。

民主党政権時代に、震災復興予算が直接地元に還元されない用途に使われてしまったなどという、施策の管理ができていなかったことに起因する失敗が目につきます。施策の実現のためには進捗状況をチェックしていくという、そもそもの管理ポイントに対する意識自体が薄かったものと思います。

しかし、対応が進まないのは単純に政府や行政の責任とは言い難い面があると思います。

東京電力福島第一原発事故で、県外に避難されている方が5万7千人以上にものぼるそうですが、事故当時から安全基準は二転三転して定まらず、学者や研究者も立場により意見の相違もあり、その結果、政府のアナウンスも信用されない状況になっています。

昨年、福島第一原発から南西に約100㎞程離れた所で、農業を営んでいる方々の話を伺うことがありました。
自分達の作った野菜は普通に出荷しているそうですが、自分達家族が食べる野菜は、遠く放射線の影響が少ないと思う地域で生産されたものを購入しているというのです。
大概の家には放射線の計測器があるそうで、食品の放射線を自分達で計測して自分で安全かどうかを判断しているそうです。近所の家は皆そうしていると言います。国が公表している数字では、現実的な危険性が判断できないそうです。

自分のところで採れた野菜を出荷するのは、国の基準に沿った行動です。この地域は一部の野菜が出荷禁止だった時もありました。
出荷が認められるようになってからも、自分の地域で取れた野菜を自分達の家族に食べさせずに、遠く離れた生産地のものを購入して食べているのは、国の基準を信用していないからです。

私は、普段の生活で放射線の影響を気にせずに生活していますので、その気の配り様には驚きました。感情的にしっくりいかない部分はありますが、責めることはできません。Wスタンダードなのは、国が信頼できないからです。


一方、がれきの撤去は進んでも、放射線で汚染されたがれき処理には、中間処分地、最終処分地の問題の目途がつかずに、遅々としています。
住民感情、世論を考えると、思い切った方向性が打ち出しにくい問題だろうとは思います。
この住民感情や世論をプレッシャーに感じるため、責任を回避するような行動パターンを取ろうとする指向性の強い公務員の方々には、明確な方向性が出せません。
これは、一つには専門家の主張が立場により大きく異なっていて、多くの人が納得できる基準や計測方法が決められていないことが大きいのではないかと思います。

震災以降、国費によって雇われている人、国が助成金を出している組織で雇われている人。世の中に役に立たない神学論争を得意とするような人達がたくさん税金で支えられていると思われた方も多いのではないでしょうか。
もちろん、いろいろな学説・意見を深く極めて、議論を進めて真理を究めていくことは必要ですが、人間の安全基準に対しての考え方など、最低限のレベルと思える意見が統一されていないというのは、原発の長い歴史を考えると驚いてしまいます。マウスなどを使った実験による有意性のあるデータから、人間に類推させるという客観的な検証が行われていれば、素人考えでは、ある程度の共通認識ができるのではないかと思うのですが。


東電から資金提供してもらっている組織に関連している学者は東電に有利な意見を主張するでしょう。反対意見など言うものなら、職場から追放されることもあるでしょう。社会的地位と高収入とを絶たれますので、必死で東電擁護に動くでしょう。
また国の機関に関係している研究者や国から助成金が出ている組織の研究者は、国の立場を考えた意見になるでしょう。
下手な言動をすれば助成金はカットされるでしょうし、仕事を廻してもらえずに干上がってしまうかもしれません。
それぞれ、紐付き研究者ですのでいたし方ありませんが、安全基準位統一できないで何のための研究者だろうかと思います。
CRP国際放射線防護委員会の基準も、原発推進派の基準などとも言われており、推進派、消極派を送り込むことで、それぞれ、その発信する情報を有利なものにしようと考えているのでしょう。

どこに基盤を置くかにより発言が異なるとしても、ことは人命に関わる基準です。
国が研究者の意見をコーデイネートして、指導力を発揮しないことには国民の不信感は拭えないでしょう。