震災の件と地方分権への危惧(2)

震災がれきの処分状況は、地域によっても差があるようです。漁業が再開できている地域もありますが、漁業の妨げになる海に浮遊する流出物を処理しても、海底に沈んだ大量の流出物まで処理するのは大変なことです。どこで妥協するかという線引きをすることになるのだろうなどと考えていましたが、思わぬところで卑近な話を聞きかじりました。

海の底に流れている車の引き上げを引き受けることになっている(どこで誰が決めるのでしょうか)企業が、某市のA市長の関連企業という噂を耳にしたのです。
東北から遠く離れた地方の一企業で、浚渫やら海の作業やらに関係ない会社です。その方面の技術があるとも思えません。担当するといっても、技術のある会社に下請に出すことになるでしょう。マージンをはねるだけです。なぜ、そんなことになるのか疑問に思いました。

この某市は、がれきの焼却を、全国の自治体が渋っている中を、積極的に引き受けたことで有名になりました。私は震災がれきの焼却の補助金が通常の焼却よりも高いためかな、などと思っていましたが、その裏で、その見返りとして上記の便宜を図ってもらえたらしいというのです。
この話は市長の下世話な話題とともに、街で面白話として噂になっているようです。

まあ、誰かがやらなければならないことですので、決定したいきさつがどうであれ、そう目くじらを立てる程のことではないと思います。
しかし、こういうケースでは、決定権者の所にベネフィットが廻って来やすいものです。それによって、発注単価が上げられる場合もありますので、万一そういうことがあれば、民間であれば業務上横領の範疇になりそうなグレーゾーンということになるでしょう。
使わなくても良い税金が費やされるのです。
もっとも、職人が足らないので発注単価が上がっているという状況では、白黒つけるのは難しいことですし、足がつくようなドジなことを保身に長けた優秀な人達がやる筈はありません。

民間企業なら大概の経営者が売上や利益を追求しようとしますので、この市長の行動パターンは、ごく自然なことと思います。

懸念するのは、その決定者、業者選定側の意識・姿勢です。

叩くと埃の出るような企業と仲良くしようとする警察関連の人の話を聞くことがありますが、こうした人達の比率や、権力を笠に着るような人達の比率とは、国も地方も同じようなものだろうかというのが素朴な疑問です。

私は特別な人為的な規制がなければ、流動性の高さと公平性とは正の関連があると考えています。
教育の関連でも何度か記しましたが、いじめの問題とクラスなどのメンバーの固定化、教師と生徒の固定化による教師の増長や劣化の問題。これは、日教組などの組合員の流動性の低さなども同様と思います。

流動性が低いところでは流れが澱みます。
甘えが生じたり、不正が生じたり、上下関係が固定化しやすくなったり、組織の殻も固くなります。


道州制は今は多くの方たちが口にしますが、大前研一氏が道州制の必要性を唱えていた昔は、道州制・・・?というのが時代の空気でした。
あれから、市町村合併が進んだのも、道州制を理解しやすくしたでしょう。

今では税の問題や、地方の能動性の問題等、地方分権の流れに理解を示さない人は少なくなったことと思います。
破綻しそうな自治体も、もっと早く地方分権が進み、自分達の意志で財政をコントロールできていれば、建て直せていたかもしれません。

しかし、組織は人です。肝心なのは人材です。
ふざけるなと言われるでしょうが、私は地方と国とでは人材の質に差があると思います。
それは民度の問題というよりも、流動性の違いによるものと思います。