統治の心

かつてのフランス領やフランスが関わった地域の多さには驚きますが、

スペインやポルトガルが世界に覇を唱えていた頃は、まるでイベリア半島を中心に世界が廻っているかの勢いがあったのだろうと思います。
スペインというと、スペインに駐在したことのある日本人は、スペインに住みたくなる人が多いと聞きます。
歴史や芸術にも惹かれるところが多いでしょうし、海洋国家で日本と類似点が多いというところも惹かれる所のようです。
卑俗な話では、家で焼き魚の料理をしても近所に嫌がられないし、黒髪で魅力的な女性が多いとか(日本では黒髪の女性は少なくなってしまいましたが)、、

話は変わりますが、静岡県の熱海と言えば歴史のある保養地です。
海岸線にはホテルやマンションが建ち並んでいます。
海岸線から程なく山が迫っていて、海岸線のホテルやマンションの後背地には住宅や、やはりリゾートマンションや旅館が山の斜面に点在しています。

遠くの高台から熱海の街を見下ろすと、山の斜面の住宅やホテル、マンションと、山を降りた海岸線に続くマンションやホテルが調和していて、とても素敵なリゾート地に見えます。
規模の違いはあるでしょうが、南仏やスペインの著名なリゾート地にも遜色ないように思えます。

私は、独特な時間の流れを感じさせる、アニュイな雰囲気のボサノバが好きです。
こちらも写真等でしか見たことはありませんが、ボサノバの旋律がさも似合いそうな、ゆったりとした時間に遊ぶ人達で賑わう、コパカパーナやイパネマの海岸線を連想したりします。

コパカパーナの海岸線にもリゾートホテルやマンションが並んでいます。やはり背後には山が迫ってきて、その斜面には住宅が山の上部に向かって連なっています。
山の斜面に密集する住宅と海岸線のホテルやマンション群がとても調和して見えます。
一見熱海と同じように見えますが、山の斜面の家々に焦点を当てた写真を見ると、熱海のそれとは趣が違うのが分かります。
山の斜面に連なっている家々は、ファヴェーラと呼ばれるスラム街です。

コパカパーナのあるブラジルはポルトガルに侵略されました。

侵略者たちは、ヨーロッパで売れるものを根こそぎ持っていきます。最初はパウ・ブラジルという木が欧州で人気だったようで、枯渇するまで取り尽くすと、次はサトウキビを栽培して砂糖のプランテーションを作りました。といっても、侵略者は自分達で作業するよりは、現地人(インディオ)を酷使しようとします。
侵略者達は、安価な労働力を必要とします。文句を言ったり、働こうとしなかったり、反抗的な労働者は抹殺できればとても便利と考えます。
侵略した地域で現地人を奴隷化していくのです。
ブラジルでは真っ先に先住のインディオが奴隷化されました。

恐らくポルトガル人がやってきたときに、食べ物や寝るところなどを提供してくれたのがインディオでしょう。
それを真っ先に奴隷にするのが、西欧流なのでしょうか。
もっともポルトガルに侵略されたブラジルはまだましな方で、現地人の男性は奴隷となり、強姦された女性は奴隷となっても子供は産み、新しい命=奴隷が育てられました。

スペインが侵略した植民地では先住民族で生き残った人は僅かと言われています。アルゼンチンなどは、ほとんど欧州国家のようですが、それだけ先住民族の影が薄いということでしょう。
スペインに侵略された国は女性達は強姦されたあげく、出産するどころか殺戮されたために民族が絶たれてしまったなどといわれます。
同じ侵略行為でも、アメリカ人のそれとは違っています。

欧州とアジアの違いとも言えません。
以前記したカンボジアでのポルポト派の残虐性や、その手本であった中国の文化大革命や、現代も行われているチベットトルキスタンでの残酷さも、比類のないものと言えるでしょう。

また、スペイン人の残虐行為は、韓国人がベトナムで行った行為を連想させます。ライタイハンは、生きている子供達ですが、それ以外に女性は韓国人に強姦され、村人全員殺戮された事例が、いくつも挙げられています。
韓国人歴史研究者のク・スジョン女史の現地検証では、ベトナム側の資料や生存者の証言により、虐殺の様子を具体的に描いています。女史は、韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだとして、その方法を記載しています。
・・・大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々・・・、まだまだ、記述は続きますが、
『夜と霧』に見る残虐さに劣らないと思える、この韓国人の虐殺方法を知ると、頭の中でぼんやりとしていたある疑問が、形を結んでくるように思えます・・・

話が異なほうに広がりそうなので、ブラジルに戻します。
産業が興ると人手が足りなくなります。奴隷を酷使しますので、奴隷の中には病気になって死んでいく人も多かったといいます。
人手が足りなくなると、新たな奴隷を調達する必要が出てきます。
西アフリカ、アンゴラモザンビークから黒人奴隷が大量に連れ去られてきました。
砂糖やコーヒーなどブラジルの産業を支えてきたものは、こうして生産され供給されてきたのですね。

インディオはもともと住んでいた先住民ですので、土地に詳しく、ジャングルの密林の中に逃亡する場合があります。
激しい奴隷労働に耐えかねて逃亡した奴隷は、マルーン(逃亡奴隷)と呼ばれ、奥地にキロンボ(逃亡奴隷集落)という集落を築いたりしたそうです。

そのうちブラジルの内奥を探検する探検隊なるものができます。これはバンデランテスと呼ばれる奴隷狩りの探検隊で、現地人を奴隷にするためや逃げた奴隷たちを連れ戻したり、キロンボ(逃亡奴隷集落)を制圧したりしたそうです。
内陸部に住んでいた先住民族は、突然ポルトガル人がやってきて、農園に連れていかれ奴隷として酷使されるのです。
何と不条理なことでしょうか。

他方、アフリカからの黒人奴隷は、ブラジルの地理も分からず、自然環境にも馴染みがなく、支配者が肌の色ですぐに奴隷と識別できるために、扱いやすかったようです。

こんな経過もあり、最初の頃のファヴェーラの住民はアフリカ系住民で、現在も黒人の住人が多いそうです。その後、19世紀にヨーロッパからの貧しい移民が流入してくると、白人系の住民もファヴェーラに入ってくるようになりました。

ファヴェーラは人種的には多様のようですね。
ファヴェーラの住民はかつては人種的不平等や人種差別による扱いを受けていましたが、現在では経済的理由から差別されたりしているようです。