主役交代(4)

景気が良くない時代は、コンサルタント企業の売上が増えるといいます。
際物的な本も良く売れるようになります。
コンサルタントや評論家は、こうした社会状況は、ここぞとばかりにお金を儲ける良いチャンスに映ることでしょう。

少子化による需要減の時代を生き抜く方法』
『既存の経営戦略では通用しない、新***戦略』
『富裕層をターゲットにした***マーケッテイング』
『モノが売れない時代のマーケッテイング決定版』
『成熟社会のお金の活用法』
『財政悪化・ハイパーインフレから資産を守れ』
『経済成熟化社会で何が売れるか』
『草食系男子が欲しがるものを狙え』
『成熟社会での婚活成功法』
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題材には事欠きませんね。

これらはデフレ状態を前提条件とした上でのテーマとも言えます。
いかに著名な評論家氏やコンサル会社であっても、デフレ下での様々な生き方、対処法は提言できますが、デフレの克服はできません。

企業間競争で体力をすり減らしている民間では、過酷な競争は行っても、その前提条件を変えることはできません。
ところが、規制緩和して自由競争を促進させようとする、規制撤廃市場原理主義者の発言を聞いていると、マーケットに任せれば全てうまくいくかのような幻想を抱きがちになります。
実際は市場を政府がコントロールしないと、頻繁にルールブックから外れたことを平気でやり出す企業が出てきます。その結果のしわ寄せを国民が受けてきた事実の枚挙にいとまがないでしょう。

通貨供給量をコントロールする中央銀行や、民間では実需が起きない所に、公共投資で需要の呼び水を起す等、政府機関が協力し合って行うしかないのですが、自分のやれるところだけさっさと行ったら、後は民間任せ、政府任せというのが、これまでの(昔は体を張った国士のような人達がたくさんいたようですが)日銀の行動パターンだったように思えます。

今までデフレスパイラルの中で喘いでいたのに、数字上の金融緩和を行いました。しかし、景気は一向に上がっていきません。うまくいかないのは、市場のせい、政府のせい、しかし、金融緩和を行ったという自分の実績だけはしっかりと主張するという、どこぞかの優等生のようです。

今までデフレ下で給料は下がる、会社の売り上げは減っていて職を失う恐れがある、子供も職に就けずにアルバイトを転々と、こんななかで生活防衛に努めてきた国民が、中央銀行市中銀行にお金を廻したというだけで、消費するようになると考えること自体が、何か大きなところでずれが生じていると思えます。

デフレで下に落ちるエネルギーを止めて上に押し上げるというのは、膨大なエネルギーが必要に思います。
市場に任せればうまくいく、、、そんなわけはないですよね。

ニューディール政策は決して古臭い色褪せた施策ではないと思います。
需要増の呼び水の主役は公共投資というのが王道ではないでしょうか。

エジプト史の知識は持ち合せていないので想像にすぎませんが、ピラミッドの建設も、公共投資を行うことで国民の生活を守る意味合いもあったのではないでしょうか。
天候不順で作物の収穫が良くなかったり、洪水が起きて家が流されたり、家畜が病気になってしまったり、生活が困難になる原因は今よりもたくさんあったことでしょう。
そんなときに、国民に労働を提供してもらい、労働者とその家族の分の食事の提供程度だったかもしれませんが、生活の面倒を見ようとする。
国民が困難な目に遭遇している時、一国を預る為政者が国民の生活を真剣に考える時、真っ先に考える施策が公共投資だと思います。それまでいざというときのために蓄えてきた備蓄食料や生活必需品を放出して、労働対価として国民の糊口をしのぐ糧にしたのではないかと想像します。

現代社会では、予算がつくとその予算を消化するのを仕事にしてしまいがちになりますので、公共投資が将来的な生活に必要なインフラになるのか、それとも一過性のものに終わってしまうのかを峻別することが重要な業務になります。そうした業務能力を職員に求めたり、そのハードルが高ければ、個別内容ごとに判断・チェック機能を外部と連携した組織として設けて、適切な用途に公共投資の予算付けを行うように地方自治体の長が責任をもってフォローを行うことが重要になってきますが、現状の省庁別縦割り行政では、このチェックがなかなか難しいと思えます。

以前記しました公共事業の例では、静岡県内で行われている建設事業のうち、市が行う事業では無駄なものは少なく、本当に必要なものを少ない予算の中でやりくりしていますが、県が行う事業(国交省からの助成金が出たりする事業など)には、無駄としか思えない、それこそ要らない箱物投資が行われていることを紹介しました。

2012-12-04 公共投資から地方分権を見ると(2)

2012-12-06 公共投資から地方分権を見ると(3)

2012-12-10 公共投資への考え方



ともあれ、公共投資に無駄が生じる場合がありますが、それは予算決めをする中央省庁と地方自治体との関係。現状の制度で行くなら、地方への国の出先機関地方自治体が吸収する等の組織変革が必要ですし、将来的には国が税を徴収して地方に分配する現行の方法ではなく、地方が税を徴収する比率を高めていくことが必要でしょう。

公共投資が不要なものを作る無駄金使いと言って、景気浮揚策としての公共投資を非難するのは、無責任というか、ご自分の周囲に生活に余裕のない人達がいないため、経済政策を真剣に考える機会のない余裕のある人達なのではないかと思います。

民間で、需要を喚起するヒット商品をいくら生みだしたにしても、可処分所得が増えていかないことには、広く行きわたりにくいと思います。
市場経済に任せただけでは、デフレ時の供給力と需要とのギャップを埋めるだけの需要増を期待するのはおおよそ無理なことでしょう。

井戸ポンプから水を組みあげる際に、呼び水として手持ちの水を使うと、大地の底に脈々と流れる水を汲み上げることができます。公共投資をこうした手段として使うのは、セオリー通りの経済政策だと思います。これを成功させるのは、エジプトの王様一人の権限では今の社会では不可能です。現在では役割分担が多岐にわたるようになっています。政府や中央銀行等の政府機関が連携して取り組んでいかなければできないことでしょう。

中央銀行の役割は大きいのですが、中立性を守るというお題目で自らを安全な場所に置き、期待されることをやってこなかったのではないかというのが、今回の主役交代で浮き彫りになったように思います。
日銀プロパーと呼ばれる秀才達は、今回の施策に対して冷ややかなようですが、やはり組織には、優秀で、なおかつ志のある異分子が入ることで、良い方向に活性化していくという面が強いと、ここ数日の出来事をみて思った次第です。