公平さの条件

日本の金融政策は、今や世界の注目の的となっているかのようです。
ユーロ圏では肩に重責の掛かっているドイツが、緊縮財政の必要を唱えていますので、さすがに日本には批判的ですが、多くの国はこのいまだ事例の無い日本の壮大な実験を好意的に見守ろうとしているかのようです。

さて、資産効果も今後どんどん見込めるようになれば、先ずは富裕層の人達が、これまで以上にお金を使ってくれるようになるのではないでしょうか。
そうして高額商品を売っている企業の収益が良くなれば、その他の企業にも波及していくでしょう。ガソリン価格や電気代や輸入製品は値上がりして、家計を切り盛りする人は頭を痛めることになるでしょうが、それ以上に個人の可処分所得に影響してくるようになれば、個人がもっと明るく余裕が出てくるでしょう。


余裕が生まれると、これまで漠然と考えていたことと向き合う時間も増えてくることでしょう。
私達が生きていくためには何が大切なことか。何を大事にしていかなければならないのか。何か大切なものをなおざりにしてこなかっただろうか。
生活に忙しいと、これらのことが心をよぎっても、立ち止まって向き合う機会を作らないまま過ぎてしまう場合が多いと思います。

一つのきっかけとして、教育の再生や、国のあり方に一人一人が向き合うことで、今後の日本を元気にして、経済のみでなく品格で世界に貢献できるようになるものと思います。

万一、このまま順調に経済が浮上しても、国民が浮かれるだけで終わってしまったら、その後の日本はつまらない国になるような気がします。魅力を感じなくなりそうです。
今はまだ、若者達が東南アジアから静岡にもやってきて、目を輝かせて勉強をしていますが、やがて日本を見る目も変わっていくかもしれません。技術は学んでも、日本文化で興味あるのはサブカルチャーのみ。それ以外の日本文化や日本人からは学ぶものはない、学びたくないとなったら、とても寂しいことです。

さて、道学者のような辛気臭い内容になりつつありますが、
今日の本題は、経済と人間の精神性についてなのです。恐らく、両者は相容れないと思われる方が大半でしょう。


こんなことを考える直接のきっかけは、自民党内部でも無視できない勢力の、規制緩和、自由市場主義、緊縮財政、構造改革論者の存在です。
安倍政権の経済政策が今のところ市場では好感触ですので、現在はなりを潜めていますが、安倍政権の政策に躓きが出たりすると、マスコミと呼応して一気に安倍潰しに動こうとする勢力です。

デフレ時では、彼らの経済政策は自らの首を絞めてしまうのではないかということを先日記しました。
(インフレ時では、王道としての政策だと思うのですが)

2013-04-05 主役交代(3)

彼らは、二言目には規制緩和、貿易の自由化を唱えますが、規制緩和・自由市場主義者は本当に日本のためを思っているのだろうか、日本のためになると考えているのだろうかという疑問がどうしても払拭できません。
それは、日本は西欧の二番煎じ国家で良いのだろうか、それでは日本の国民に矜持も生まれないのではないか、ということとも関連してきます。

彼らはアメリカからベネフィットを得ていたり、既に思惑買いを行っているのではないかと非難する人もいます。
思惑買いというのは、例えば、
2012-12-02 公共投資から地方分権を見ると
に記したように、普天間から基地を辺野古へ移設する案が有力になりそうだと察知した時点で(平成17年11月28日所有権移転[登記簿による] さすがに、ずいぶん早い行動です)、合計で約1,571坪を、基地のできる周辺の土地を購入した小沢一郎氏の例などがあります。また、小泉政権時代のT氏にもいろいろな噂がありましたが、この類の物は嫉妬が入る場合がありますので、鵜呑みにはできないと思います。
ここで取り上げたいのは、そういうレベルの問題ではなく、制度と人の問題を考えたいのです。


自由主義経済は日本人にたくさんの幸せをもたらしたという面がありますが、それは統治機構が機能したからのこと。自由競争至上主義の社会は、一見公平で機会均等で自由な市場に見えますが、機会均等などは幻想に過ぎないと私は思っています。
規制を緩和して、撤廃して、得をするのは生活者でなく組織体です。その組織から間接的に国家へと利益は流れますが、その国に住む国民に本当に恩恵は廻っているのだろうかというのが疑問に感じるところです。
またその論理を広げていった時に、世界の国が豊かになっているのだろうかという疑問です。

単純な図式的意見ですが、日本が構造改革をどんどん進めて、規制を撤廃して、吹き荒れる外の嵐を国内に招いた場合、一番得をするのはアメリカの産業界でしょう。そのとき、その産業に従事している生活者の人達は給与も上がってハッピーにもなるでしょう。廻り廻って他のアメリカ国民にも波及効果は出てくるでしょう。アメリカ国家にも税収が生まれます。それでアメリカ国民は幸せになっているのでしょうか。
アメリカ国民の貧富の差は開く一方です。

ここで私が問題にしているのは、市場経済ではなく政治の機構の方になってくるのではないかと思われるでしょうが、自由競争主義を是とする統治方法では国民を幸せにする政治ができにくいのではないかということを問題にしています。

欧米の経済手法である、自由競争は勝者を幸せにするかもしれませんが、多くの人を幸福にするものではありません。多くの人を幸せにするための分配をコントロールするのは政治ですが、その政治は多くの人を幸福にする方向には向かいません。
多額の税収をもたらしてくれる法人や人に向きます。
政治献金や寄付をもたらしてくれる勝者に向きます。
南北問題は一向に解消する気配もありません。
30年前の最貧国は未だに貧困問題を抱えています。

貧困国を利用するのではなく、自助努力をもってすれば幸せになる機会を与える市場原理・統治方法を、先進国が示してやらない限り、先進国、特に欧米諸国を敬い、共に歩もうとは思わないのではないでしょうか。

この問題解決を、市場原理と制御キーの問題と考えるのでは問題の解決にならないのではないか、というのが今日の問題提起です。