統治の心(5)

東日本大震災の際の義捐金が突出していたのが台湾でした。

1人当たりのGDPや国力の差を考えれば、その数字が驚嘆すべきものなのが分かります。
毎日の生活に追われている台湾の人達の多くは、決して蓄えが豊かである訳でもないのに、日本のために救援物資や義捐金を供してくれました。

国造りをどうすべきか、国を豊かにするというのはどういうことかと考える時に、不安定なパワーバランスの上で懸命に生きている、この台湾の人達の心根や骨格を形成した風土・教育がどういうものだったのかを思わざるを得ません。

こうした台湾の人達の日本への厚意はどこからきているのでしょうか?
これは、以前も記しましたが、日本の植民地政策が西欧諸国のような現地の搾取ではなく、日本本土での税金を、統治する植民地につぎ込んで、道路や学校や病院、ダムや用水路等灌漑設備などのインフラの設置に充てて、安全に便利になるよう、また現地の生活水準が向上するようにという意図で、統治をしてきたという歴史が大きいと思います。

もちろん、日本語の使用を進めたり等、統治に際して、統治される側の感情を損なうような施策も行ったかもしれません。日本の資本投下や日本からの貿易品で日本の財閥や業者が潤うこともあったでしょう。しかし、統治後数十年経っても台湾の人達は、日本の意図を曲解することなく、日本の統治を敬意をもって評価してくれています。
その日本人の中に、現地の人達から慕われ尊敬された、八田與一氏のような真摯で立派な役人がいたおかげでもあるでしょう。しかし、日本の統治のやり方は、西欧諸国の統治方法とは根本的に異なります。

恐らく、その統治の心は、多少の変容はあるでしょうが、韓国や中国においても、同じ思いが込められていたものと思います。
しかし、同じことを行っても、プライド高き民族は、同じ有色民族の小国日本に統治されたという事実が許せないのでしょう。


日本のOEDで空港を作っても、その事実は国民に知らせようとせず、その近くに自国のお金で立派な反日記念館を作ります。
平和主義者の教師が多い日本の高校の中には、修学旅行にそうした記念館に生徒を連れて行き、日本人がどんなに残酷で酷いことを行ってきたか、既にでっち上げの写真と証明されている展示写真や蝋人形を見せて、生徒を戦慄させます。
親兄弟に囲まれ、愛情を持って育てられてきた生徒達は、目の前に地獄図絵を見せられ、自分の祖先が残虐なことを行ってきたと非難されます。
あまりの落差に生徒達は自分の感情をどう整理したら良いか、どうしていいか分からないことでしょう。
中には震え嗚咽し出す生徒もいるそうです。

こういう教師は、所・場所が変わると、生徒のPTSDなどを問題にして、子供達を守らなければならないとか、傷ついた心のケアが必要だなどと口角泡を飛ばしてノタマウのでしょうね。
言葉は正しいように思えても、その発言者の背骨がしっかりしたものでなければ、その発言者の人間性とその言葉そのものも信頼することはできません。

記念館を見学させて、生徒達に感想文(反省文)を書かせる学校もあるとか。
庶民派を気取ったニュースキャスター達が、自分達の子供をこうした学校ではなく、私立に行かせようとするのは分かりますが、もしそうならば、報道はもう少し客観的に行って欲しいものですね。


この類のテーマになると、ついつい脱線してしまいますが、トルコの話に戻したいと思います。