統治の心(6)

ちょっと時間が空いてしまいましたが、トルコの件の続きです。

人の厚意に関しては、その金額の多寡を問題にすべきではないと思いますが、
問題の切り口としては、重要な側面になる場合があります。

東日本大震災の際のトルコからの支援・義捐金も眼を惹くものでした。

なぜ遠く離れたトルコから多額の東日本大震災への義捐金が寄せられたのか、と不思議がった政治家や官僚がいたといいます。

トルコでは、エルトゥールル号の海難事故での日本側の厚意について、教科書にも載せて子供達に教えてきたという経緯があります。
過去に受けた恩義を、未来の大人達にも継承しているのです。

他方、日本ではこうしたことを教えなくなってしまいました。
日本の教育界は、日本人が当たり前のように持っていた倫理観、道徳的な価値判断を排除してきた傾向があるように思います。
そのためもあり、トルコが日本を好ましく思っても、日本人は何故??ということになってしまうのですね。(最近、日本人の先人達の誇れるべきことを載せる教科書も一部に出てきており、こうした逸話も盛り込まれているようです)


地元の串本町では、いまだに5年に1度、追悼式典を開催しているそうです。
心を継承していこうという行動を続けている地元の人達あって、あのような献身的な行動を当たり前のように行えるのでしょう。
台風の中、村人総出の救護活動、救出された人達への村人の情を感じさせる支援。
また、詳細は分りませんが、恐らく、後日も遭難者の遺体の収容等、漁師達は困難な作業を行っているのではないかと思います。

状況は全く違いますが、清水の次郎長の逸話を連想します。
品川沖から脱走した榎本武揚の率いる艦隊の船が、暴風雨で房州沖で破損します。
修理のため清水港に入りますが、その内の咸臨丸が新政府海軍に発見され、船に残っていた乗員全員が殺害されました。
その後、遺体は逆賊として駿河湾に放置されていましたが、次郎長は小船を出して遺体を収容し、向島の砂浜に埋葬しました。
新政府軍はこの次郎長の遺体の収容作業を咎めます。
しかし、次郎長は、新政府軍を突っぱねます。死者に官軍も賊軍もない、と。

海難事故の後始末は大変な作業です。
まして、死者行方不明者が587名の大海難事故です。
嵐が静まったとしても、船の装備等は今とは比較にならない時代です。

とかく地道な兵站に関すること等が、なおざりにされやすい風潮があるのは、一時期の日本軍だけではなく、現在でも特に急成長を遂げる新興企業などにはありがちかと思います。
何かの事件の前の準備の逸話や、その事件の事後に関しての冷徹な事実の記録や報道に接する機会は少ないもの。
福島の東電の原発事故なども、未だに事後処理に奮闘している人達がたくさんいるにも拘わらず、仕事や人的な関連が薄いと、日本の社会での日常生活の積み重ねは、記憶の風化を加速させる作用が働いているかのように感じます。

さて、当時串本町の村人達の体験は、戦争の後始末に近いものもあったのではないかと思います。
また、事後100年以上経っている現在でも、救護活動を行った子孫が地元だけで追悼式を開催しているという事実。
どちらも、背骨がしっかり通った人達でないとできない素晴らしいことだと思います。

ところが、先人達の素晴らしいことを学んで誇らしく思うこと。これが増長につながると考える人もいるようです。
中には、自分では努力も何もしないのに、先人が立派なことをしたことを自分の手柄のように受け止めて、自分の価値が高まったかのような勘違いをする人もいるでしょう。
しかし、多くの人は先人達の行動や姿勢から多くの物を学び、そこから得たものを心のどこかに規範として深く刻み込むのではないでしょうか。
やがて、自分の人間性、精神性が試される場面に立ったとき、無意識に行動基準として有用な働きをすることがあります。私達がよく日本人のDNAなどと表現することも、努力無しでも遺伝子が子孫に伝えてくれるわけではなく、串本町のように、承継することで新たにその芽が培われていく場合が圧倒的に多いのだろうと思います。

さて、親日親日などと言われると、日本人は良い気分になることはあるでしょう。しかし、現地での日本の存在感は落ちつつあるようです。
ラオスカンボジア、ミヤンマー等を良く知る人から聞くことですが、日本の存在感は薄く、大きなビルやショッピングセンター、ホテルや遊技施設等を建てているのは韓国や中国企業。次がちょっと下がってシンガポールの企業。
韓国や中国のビジネスマンが街を闊歩しているのはよく見るが、日本のビジネスマンを見かけることは少ないといいます。
日本企業が海外展開はしていても、最近の日本人には、他国に入り込もうという(中に入って溶け込もうという)意志が薄いということのようです。
また、最近、日本ではミヤンマーがブームになっています。日本国内での報道を見聞きする限りでは、さぞ大企業の投資熱も旺盛なのだろうと思いますが、ミヤンマーに住む人によると、やはり多いのは中国人や韓国人で、日本人はほとんど見かけないというのです。時々、違法の少女買春に来る日本人の若者の話は聞くといいますが。

日本の存在感に関しては、トルコでも同様になりつつあるようです。