引き続きトルコの話題

トルコ航空の元機長だったオルハン・スヨルジュさんが、今年の2月に逝去されたそうです。

オルハン・スヨルジュさんは、1985年のイラン・イラク戦争時に、トルコ政府の命を受け、テヘランに取り残された200人以上の日本人を救出してくれた、トルコ航空機の元機長です。

当時イランには、企業関係者やその家族等で、約1,000人もの日本人が住んでいたそうです。
そこへ、イラクサダム・フセイン大統領が、
「3月20日午後2時(日本時間)以降、テヘラン上空に飛ぶ航空機は、軍用機・民間航空機の区別なく、どこの国の飛行機でも、すべて撃墜する」と、無差別攻撃を宣言します。

危機を事前に察知して既に出国していた人達もいましたが、フセイン大統領の発言を受けて、慌てて国外脱出を図ろうとした日本人も少なくありませんでした。
イランから出国しようと、テヘラン空港に殺到しますが、日本人は飛行機に乗れません。
海外の航空会社の飛行機は自国民を優先的に搭乗させますので、日本人は乗せてもらえないのです。

イランに同胞が在住している国々は、フセイン大統領の宣言した期限までに、軍用機や旅客機を差し向けて自国民を救出しようと奔走しています。
しかし、憲法上の制限がある日本は、自衛隊の海外派遣が禁止されていますので、自衛隊機による救援ができません。日本政府は日本航空に救出を依頼しますが、日本航空も乗員の命をみすみす危険にさらせません。また、日航の組合が硬直していたのは当時有名でしたので、仮に社長が命令しても、組合が組合員をイランには向かわせることを了承することはなかったろうと思います。
日本航空はイランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さないとし、イランへの日本人救出を拒否します。

当時の日本の法体系では日本政府は日本国民を守ることができませんでした。(今でも、攻撃からは国民や友好国を守れませんね)
フセイン大統領の宣言した時刻は待ったなしで迫ってきます。
最終的に、脱出できずに空港に残った日本人は215名といいます。
しかし、215名の在イラン邦人は、空港でいくら待っていても日本から助けは来ないのです。

当時のイラン駐在大使は野村豊氏でした。自国民を救うことのできない大使の胸中はどんなだったでしょうか。最も重要で、日本国民に対する基本中の基本の義務が果たせないのです。
野村大使はトルコのビルレル駐在大使に窮状を訴えました。藁をもすがる思いだったでしょう。
(この頃、当時、伊藤忠商事イスタンブール支店長だった森永堯(たかし)氏も、トルコ政府に救援機の派遣を働きかけていたそうです)

ところが、トルコのビルレル大使は、本国に連絡し、日本人を救援するために救援機の派遣を取りつけるのです。
ビルレル大使は、トルコ人なら誰でも、エルトゥールル号の遭難の際に受けた日本人の恩義を知っていますと言います。
ご恩返しをさせていただきましょうと。

トルコ政府の命を受けたトルコ航空の2機の救援機がテヘラン空港に到着します。215名の日本人は2機に分乗し、イランを出国します。215名は、トルコ経由で無事に日本に帰国することができました。

当時、イラン在住のトルコ国民は600名以上だったそうです。救援機に日本人を乗せるために、飛行機で脱出できないトルコ人が出てきます。
否、最初から日本人を脱出させるための救援機だったようなのです。
在イラントルコ人600名のうち100名ほどはトルコへの定期便で出国させました。残りの約500名は陸路を自動車での脱出を図ったのです。
テヘランからイスタンブールまで、車で3日以上かかるそうです。その間、空路よりもはるかに危険も大きかったことでしょう。トルコ政府は自国民を危険な陸路を使って帰国させます。特別機は日本人を救出するためのものだったのです。


現在では法改正がされており、有事により在外邦人を国外に脱出させる必要が生じた時は、外務省が在外公館を通じて相手国の許可を得た上で、防衛大臣の指揮により自衛隊政府専用機護衛艦によって在外邦人を輸送する。また自衛隊は在外邦人輸送訓練を毎年行っている。として、
邦人の命を日本政府は守れるとしているようですが、

例えば、日本人に一番険悪な感情を抱きやすいと思える、韓国や中国には日本人は何万人住んでいるでしょう。救援機が何百機も必要になる計算ですが、日本のために臨時に空港をそこまで利用させてくれるでしょうか。それ以前に、それだけの救援機や乗員を手配できるのでしょうか。

相手を刺激するから、タブーとして、議論をすることさえも右翼的などとして思考を止めてしまうことは、まるで砂に頭を埋めようとするアヒルに外ならないように思います。
客観情勢への認識や想像力の欠如でしょうか。それとも、不作為によるものでしょうか。
憲法改正への前向きな議論も厭うような姿勢こそが、国民の安全を場当たり的にしか考えず、目線は自分達の保身や党利党略でしかないことが分かります。

泥をかぶってでも一歩も二歩も踏み込もうとするリーダーを、火の粉を被っているので叩きやすいとばかりに、内容の無い論理で潰そうとするのを見ていると、情けなくなってしまいます。
もっとオープンなマインドと思考とで、冷静に国民のことを考えてもらいたいです。


直視して体を張らないと、守れないものがあります。

2006年(平成18年)、日本政府は、イランで救出に当たったトルコ人の客室乗務員など13人に勲章を授与し、感謝の気持ちを表しています。


冒頭の、オルハン・スヨルジュ元機長は、昨年夏に来日されたそうです。

伊藤忠商事イスタンブール支店長だった森永堯(たかし)さんに、
「日本人救出の依頼が来たときは家族には言えなかった。危険だし、反対されるから。でも、同じような要請があればまた行く。自分が操縦桿(かん)を握る」と語ったとか(産経新聞より)