心の叫び

昨日は息子がお世話になっている大学で銃の乱射事件がありました。
普段良く図書館を利用していると聞いていましたので、犯人が図書館で射殺されたという報道に嫌な胸騒ぎがしましたが、別なキャンパスにいたので無事だったとの連絡がありほっとしました。

2011年アメリカでは約1,080万丁の銃火器が販売されています。前年比で14%の伸び。過去10年間では50%の伸びとなっています。この販売数量には驚きますが、クリスマス商戦にはゲーム機と並んで銃が良く売れるなどという報道も耳にしますので、アメリカ人にとっては銃というのは身近な存在なのでしょう。

銃の所持を認めていることに、当のアメリカでも賛否いろいろですが、いったん、商業ベースに乗ったものを、後から規制するのは大変なことです。
銃や弾薬等関連商品の生産や流通で生活している人も多い訳ですから、メーカーや関連の人達、全米ライフル協会等が議員を使ってでも制度の維持を図ろうというのも分からないではありません。
その収入で家族を支えている訳ですから、既得権を守るのに必死になるでしょう。

逆のケースですが、日本では商業ベースに乗ることなしに、僅かな補助金を頼っている一部の米作農家でさえ、農業や農地の自由化を規制している制度の変更には反対する人もいます。
まして、商業ベースに乗っている産業です。人道的な観点は、お金を生みだしてくれませんので、銃関連産業に従事する人達の生活を守ってくれません。

それならば、補助金制度を設けて銃を廃止に持っていくという方法はどうなのでしょうか。
アメリカの銃の製造メーカーと言えば、スミス&スウェッソン、レミントン、ウィンチェスターなどですが、安いもので4万円位から購入できるそうです。1,080万丁の銃の平均購入金額が4万円の倍の8万円(何の根拠もありませんが)として、8,640億円。その他、銃火器専門企業の他に、火薬や関連商品の業者、射撃場経営者等々、関連産業の売上がありますので、これも根拠はありませんが3倍として、約2兆6千億円。
大きな金額ですが、銃を狩猟用や軍関連の火器需要に特化することにして、民間人の保持を規制するための補助金として、予算化できない金額ではないように思います。

その他で銃規制の障害と考えられることに、
アメリカは1775年から1783年まで、武力を行使した独立戦争を経て独立したという事実があります。

アメリカ合衆国憲法権利章典(修正条項)には、
(人民の武装権)
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。

とあります。

これに対して、個人の武器保有を認めているのではなく、州が民兵を維持することを認めているに過ぎない「州権論」という考え方もあるようですが、アメリカでも憲法論議で対立して結論が出せないでいるようです。

銃の事件が起きるたびに、アメリカ国内でも規制の声が報道されます。
私達が考えるよりも、アメリカの家庭では銃は身近な存在でしょうから、規制賛成の声も大勢ではないとは思いますが、所持できる人の基準をさらに厳しくする等の対策を取ってもらえないかと思います。


日本では心療内科の待合室に患者さんが増えている医院が多いと聞きます。それと何らかの事件の原因とを結びつけるのは短絡的で、人権上で問題がありますが、現代が心を病みやすい社会であるということは間違いなく、社会がどういう方向に振れやすいのかということを認識する指標として、重要な兆候と把握するべきだと思います。
(こうした現象は教育界での欺瞞的な教育内容、大人たちが社会の環境変化を知覚できずに若者に的確なサジェスチョンを提示できないでいることも原因ではないかと思います)

こうした現象は同時代性があって、アメリカでも同様の振れがあるのではないかと思います。
悩める人間が悲惨な暴力に結びつくきっかけを極力減らすという意味でも、銃規制に積極的に取り組んで欲しいと思います。